フェリスのあゆみ

創立者紹介

メアリー・E・キダー

メアリー・E.キダー/Mary E. Kidder
(1834年~1910年)

アメリカ・バーモント州の小都市に生まれ、教師として、改革派教会の宣教師として生涯を伝道と教育事業に捧げたメアリー・E.キダー。1869年(明治2年)に、日本宣教師の開拓者であったS・R・ブラウン博士の推薦によって来日し、翌年、フェリス女学院を創立。その時、キダーわずか36歳の若さでした。日本での女子教育への熱い情熱がこめられた手紙の数々は、「キダー書簡集」にまとめられています。

校名について

フェリス

フェリス博士父子

アイザック・フェリス(1798年~1873年)【左】
ジョン・メーソン・フェリス(1825年~1911年)【右】

開学当時は「キダーさんの学校」と呼ばれていましたが、1875年6月1日、山手178番地に校舎を新築した時、米国改革派教会外国伝道局総主事父子の名を記念して「フェリス・セミナリー」と名づけられました。キダーが米国の日曜学校の生徒に送った書簡には次のように記されています。「わたしたちの学校を何と呼ぶことにしたか報告したい。わたしたちの親切な友、フェリス博士に敬意を表すばかりでなく、わたしたちの知っている博士の父上をも記念して“フェリス・セミナリー”としたい」
その後1889年「フェリス和英女学校」、1941年英語が敵性語とされた時代には、学校の存在する地名を冠して「横浜山手女学院」に変更したが、1950年再び「フェリス女学院」と改称し現在に至っています。

校章について

校章

本学の校章は、神の武具である盾のなかにかつての校名であるFerris Seminaryの頭文字「F」「S」の2文字が組み合わされています。黄色は希望を、赤は愛を、白は信仰を表しています。これは「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この3つは、いつまでも残る」という「コリントの信徒への手紙」13章13節の聖句に因むものです。

校歌の由来

1929年に震災後の校舎が完成したのを祝って作られた詞が、讃美歌のメロディーで歌われていましたが、1950(昭和25)年創立80周年を記念して、現在の校歌が制定されました。
作詞は広く学院関係者から募集した結果、フェリスの中等部から東京女子大学に進み、母校の国語教師になったばかりの英康子の詞が選ばれました。また、作曲は講師を務めていた團伊玖磨が担当して完成。豊かな音楽的表現を備えた芸術作品となっています。

フェリス女学院校歌

作詞:英 康子  作曲:團伊玖磨

1

清らかに 恵の花の咲くところ
緑濃き フェリスの丘に
富士の嶺は 豊かに晴れて
乙女等の 希(のぞみは湧けり
覚めむ いざ 学びの友よ
つつましく 篤く祈りて
人の世に
みことばの 光傅へむ

2

新しき 生命の清水汲むところ
黎明の 鐘はひびきて
打ち拓く 歴史の扉
学び舎の 歩みは高し
立たむ いざ 自由のともよ
おのがじし 智慧をみがきて
ひとすぢに
まことなる 道をきはめむ

3

とこしへの 平和の朝の澄むところ
まなかひの 港都(みなと)の海に
流れ合ふ 八重の潮路も
境なき 一つの理想(おもひ)
行かむ いざ みくにの友よ
もろともに 深く睦みて
若き日を
御栄(みさかえ わざに捧げむ