私たちが学びたいこと
-オリンピックの光と影-

フェリスの全学生に向けて開かれる基礎教養・総合課題科目の中に、学生からの提案でつくられる授業があります。フェリス生の関心が反映されるこの授業の2015年度のテーマは、「オリンピックの光と影」になりました。

全世界に大きな影響を与える近代オリンピックは、一体どのようなイベントなのでしょうか。この授業では10名のゲストの先生方とともに、多様な視点からオリンピックの理想と現実(光と影)とを学び、私たちが2020年にどのように大会を迎えるべきなのかを考えます。

フェリス女学院大学は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会と、オリンピック教育の推進とグローバル人材の育成、パラリンピックの理解促進を柱とした連携協定を結んでいます。本学の特色を生かしたこの授業が、大学連携における一つの実践的モデルになることを願ってやみません。

それでは、受講生自身による授業のレポートを通して、「オリンピックの光と影」に足を踏み入れてみてください。

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第1回 テーマ「近代オリンピックの誕生とその歩み」(4/14)
担当:和田浩一(本学国際交流学部教授)

<p class="img center"><img class="size-full wp-image-2311 aligncenter" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/worldmap.jpg" alt="worldmap" /></p>
<p>私たちは「オリンピック」と聞いて、「世界中が注目する華やかな祭典」を想像します。しかしオリンピックには莫大な経費がかかる、テロなどの危険にさらされる、ドーピングに染まるアスリートが絶えない、アフリカ大陸で一度も開催されていない等、マイナスの要素にも満ちあふれています。</p>
<p>世界中の人々が注目するメガイベントであるにもかかわらず、このようなオリンピックの「影の部分」に目を向けたことは……、私は正直言ってほとんどありませんでした。2020年東京大会を控え、このような状態でよいのだろうかと自問しました。</p>
<p>2015年4月、平和の祭典と呼ばれるオリンピックが世界にどのような正と負の影響を与えているのかを追求したいという思いが、「オリンピックの光と影」という授業(学生提案科目)の誕生につながりました。</p>
<p>初回の授業は古代オリンピックの概要説明から、近代オリンピックの創始者であるクーベルタンの思想形成過程へと進んでいきました。その後、大会の開催都市を確認しながら、オリンピックのプラスとマイナスの両面についてみんなで意見を交わしました。</p>
<p>自分一人では気づけなかった新鮮な視点を取り入れながら、オリンピックがもつ「光」と「影」の世界を、この授業で探っていきたいと思います。(K・K、授業提案者)</p>

第2回 テーマ「オリンピズムとレガシー」(4/21)
担当:和田浩一(本学国際交流学部教授)

<p class="text">私たちに馴染みのない言葉が使われているがゆえに、たいへん難しそうなテーマだとの印象をもったまま授業が始まりました。</p>
<p>まずは、オリンピックの憲法とも言える「オリンピック憲章」の冒頭数ページを丁寧に読みました。私たちはここから、次のことを読み取りました。</p>
<ul class="list-number">
<li>オリンピック大会はオリンピック・ムーブメントという社会的な活動の頂点であり、このムーブメントはオリンピズムに基づいて行われていること。</li>
<li>オリンピズムとは、身体と意志と精神のバランスの取れた人材を育成することによって世界の平和を目指す教育的な理念であること。</li>
<li>国際オリンピック委員会(IOC)がこのムーブメントの推進母体であること。</li>
<li>ポジティブなレガシーを残していくことが、開催都市に求められるようになったこと。</li>
</ul>
<p>続いて、1964年東京大会を取り上げ、スポーツが社会におけるさまざまな分野と結びついた具体的な事実を確認し、レガシー遺産)という概念の意味を理解していきました。ここで押さえておくべき点は、スポーツ施設建設のための自然破壊など、マイナスのレガシーもあるということです。</p>
<p>最後に、2020年東京大会招致の最終プレゼンテーションの中で、オリンピズムとレガシーが重要なキーワードとして使われている場面を実際に見ました。政治家のマニフェストのように、これらの言葉が「IOC委員から票を得るためだけに使われたのではいけない」という受講生の意見にハッとするとともに、オリンピズムに重きが置かれた大会にするには、まずクーベルタンのいう「無知」から脱することが必要だと感じました。(R・N)</p>
<div class="img-2col"><img class="alignnone size-full wp-image-2320" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_01.jpg" alt="" /><img class="alignnone size-full wp-image-2321" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_02.jpg" alt="" /></div>

第3回 テーマ「オリンピックとジェンダーバランス」(4/28)
ゲスト:來田享子先生(中京大学教授)

<p>ジェンダーとは、社会的・文化的な性のことを意味します。このジェンダーとオリンピックは、どのような関わりがあるのでしょうか。</p>
<p>ここ数年、レスリングの吉田沙保里選手やスケートの浅田真央選手、なでしこジャパンなど、日本では女性アスリートの活躍が目立っています。実際、近年のオリンピック大会では、参加日本選手の男女比はほぼ半々となっています。この数字だけに目を向けると、「男性のみの参加で始まった近代オリンピックだったけど、今や出場選手の約半数が女性だなんてすごい!」と思ってしまいます。</p>
<div class="img center">
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2329" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_03.jpg" alt="ill_03" width="540" height="405" /></p>
</div>
<p>しかし、ここには落とし穴があります。直近の2012年ロンドン大会でも、日本選手団の女性役員(監督、コーチほか)は15%しかいないのです。つまり、女性アスリートの層が厚い一方で、組織の運営を担う女性役員の層は非常に薄いということです。しかも、女性の国際オリンピック委員会(IOC)委員が選ばれるようになったのは、1980年代になってからというから驚きです。</p>
<div class="img center">
<p><img class="alignnone size-full wp-image-2330" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_04.jpg" alt="ill_04" width="540" height="405" /></p>
</div>
<p>女性の社会進出がほとんどなかった1921年、オリンピック大会への女性の参加拡大のみならず、IOCをはじめとするスポーツ組織の意思決定機関に女性が加わることや、女性審判の採用などを訴えた人物がいました。国際女子スポーツ連盟の創始者のフランス人アリス・ミリアです。彼女が訴えたことは非常に画期的かつ未来的だと思いました。</p>
<p>授業の後半、2012年ロンドン大会のメダル獲得数上位国で、女性がどれほど社会に参画しているのかを、男女格差を示すジェンダーギャップ指数(1)と女性議員の比率(2)とをもとに概観しました。メダル獲得数6位の日本はなんと、(1)が101位、(2)が129位という結果です。日本人女性アスリートの活躍はほんの「小さな光」に過ぎず、その背後には、女性が社会に参画できていないという「大きな影」が横たわっていたのです。</p>
<p>アリス・ミリアの主張から94年たった今、彼女の訴えはクリアできていると言えるのでしょうか。(M・S)</p>

第4回 テーマ「パラリンピック大会の理想と現実」(5/12)
ゲスト:河合純一先生(日本スポーツ振興センター・パラリンピック金メダリスト)

<h2>【その1】</h2>
<p>「日本には障がい者が何人いると思いますか?」</p>
<p>河合先生からの問いかけに対し、3万人、10万人などといった声が上がりました。答えは身体・知的・精神・発達の障がい者を合わせて約1,000万人で、これは日本人12人に1人の割合となります。少ないと感じるかもしれませんが、障がい者には家族がいること、また障がい者は高齢者に顕著に多いことを考えると、決して他人事ではありません。</p>
<p>「この教壇には段差があります。障害はここを登れない人でしょうか、それともこの段差でしょうか」</p>
<div class="cp-ti text cp-all clearfix">
<div class="cp-text">なるほど。私たちが社会の中に障害を作り出しているかもしれないと少し違う視点から考えかつ行動すると、社会はより良いものになりそうです。これは合理的配慮と呼ばれる考え方に通じます。</div>
</div>
<p class="img center"><img class="size-full wp-image-2339 aligncenter" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_05.jpg" alt="ill_05" width="275" height="183" /></p>
<p>ところで、障がい者が活躍するパラリンピックの原点は、第二次世界大戦後初のオリンピックとなった1948年ロンドン大会の開会式の日に、イギリスのストーク・マンデビル病院でグッドマン博士が負傷者のリハビリとしておこなったアーチェリー大会です。その後、1960年に夏季大会と同じローマで国際ストーク・マンデビル大会が開かれ、後にこの大会が第1回パラリンピックとして追認されました。</p>
<p>現在、パラリンピックに出場できる選手は視覚障がい者と肢体不自由者、知的障がい者に限られ、聴覚障がい者や精神障がい者は参加できません。この事実にはビックリしました。なぜなら、パラリンピックはすべての障がい者が参加できる祭典だと思い込んでいたからです。</p>
<p>近年、パラリンピックへの注目度が高まってきました。2012年のロンドン大会では、チケット売り上げが過去最高の280万枚となり大成功を収めたそうです。パラリンピックは今や、オリンピックとワールドカップ・サッカーに次ぐ世界で3番目に大きなスポーツイベントとなっています。</p>
<p>「見る視点を変えることで社会が変わる」(河合先生)</p>
<p>2020年東京パラリンピック大会に関心を持つ人が一人でも増えれば、アクセシビリティの高い社会の実現につながり、これが2020年大会のレガシーになるのではないかと考えました。(R・N)</p>
<h2>【その2】</h2>
<p>「失われたものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」</p>
<p>この言葉を原点とするパラリンピックは、障がいを持った人々が障がいのことを忘れ、自分の力で思いっきり勝負を楽しめる「光」の場です。一方でそこには、日本人選手の男女比が7:3で女子の方が圧倒的に少ない、パラリンピックに参加できていない国が約40か国ある、オリンピックよりも注目度が低いといった「影」も差し込んでいます。</p>
<div class="cp-ti text cp-all clearfix">
<div class="cp-text">とりわけ、98%の日本人はパラリンピックという言葉を知っているけれども、競技種目などの細かい内容については0.2%の人しか知らないという現実は、大きくかつ濃い「影」として受け止めるべきでしょう。この影は、オリンピック創設者クーベルタンが戦争につながると憂えていた「無知(の状態)」に他なりません。</div>
</div>
<p class="img center"><img class="size-full wp-image-2353 aligncenter" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ph_01.jpg" alt="ph_01" width="275" height="203" /></p>
<p>2020年の東京は、2回目のパラリンピックが開かれる世界で初めての都市となります。このような貴重な大会に巡り合えることを誇りに思い、私たちはパラリンピックについて学んで「無知(の状態)」を克服していくべきではないでしょうか。</p>
<p>母校の舞阪中学校に勤務されていた河合先生に大学の授業でお会いし、授業の前後を合わせていろいろなお話しができたことを、とてもうれしく思います。(M・H)</p>

第5回 テーマ「オリンピックと平和運動」(5/19)
ゲスト:舛本直文先生(首都大学東京教授)

<p>「みなさんはオリンピックについて、どこで学びましたか?」</p>
<p>シンプルですが返答の難しい質問で、この授業はスタートしました。いざ思い返してみると、小・中・高校でオリンピックについて学んだ記憶はありません。唯一の例外は、「1964年 東京オリンピック」という日本史年表の一行ぐらいでしょうか。</p>
<p>このように、これまでの日本の学校教育にはオリンピックについて学習する機会はありませんでした。つまりほとんどの国民が、「オリンピック憲章」や近代オリンピックの発案者クーベルタンなど、オリンピックを考える上で欠かせない重要なことを何も知らないのです。</p>
<p>私たちのほとんどは、2020年の東京大会に注目しています。では、こんな私たちの関心とは一体何でしょうか。それは十中八九、「誰がメダルに一番近いのか」「○○選手の生い立ちは波乱万丈だった」などという、メダルやヒーロー・ヒロインへの興味・関心です。</p>
<p>戦争の恐ろしさを身をもって体験したクーベルタンは、平和の祭典としてのオリンピックを生み出したはずでした。しかし、ふたを開けてみると、私たちを含む世界中の人々は、平和よりもメダルやヒーロー・ヒロインに夢中なのです。クーベルタンと私たちとの間にあるこのような認識のずれには、1)私たちが学校教育でオリンピックの理念などについて学んでいない、しかも、2)視聴率を追い求めるメディアを通してでしかオリンピックのイメージをつかんでいない、という2つの原因があると思います。</p>
<p>それでは、私たちが本来理解すべきオリンピズム(オリンピックのあるべき姿)とは、どのようなものなのでしょうか。</p>
<p>近代オリンピックの制度誕生から100年目の1994年、IOCは「スポーツ」と「文化」に「環境」を加えた三本柱でオリンピズムは成り立っていると説明しました。1)スポーツと文化を通して心身ともに調和した若者を育成するという教育的思想と、2)4年に一度、世界中から人々が集まって異文化理解とフェアな競技で友情を育み、平和な社会の構築に寄与する平和思想とが、クーベルタンから引き継がれていることが分かります。</p>
<p>IOCは1992年、古代オリンピックの「エケケイリア」に倣ったオリンピック休戦の活動を開始しました。また、翌1993年にはIOCが呼びかけた結果、1994年のリレハンメル冬季大会時には紛争や戦争を中止しようという「オリンピック停戦の順守に関する決議」が、第48回国連総会で採択されました。</p>
<p>しかし舛本先生によれば、オリンピックの度に発せられる「オリンピック休戦宣言」は、現実には一度も守られたことはありません。例えば、2008年の北京 大会では開会式の日に、ロシア軍はジョージア(グルジア)へ侵攻しました。プーチン大統領は開会式に出席している間に、戦争の指示を出したということにな ります(南オセチア紛争)。また、2014年のソチ大会直後にロシアによるクリミア半島併合問題が起きたことは、記憶に新しいところです。</p>
<p class="img center"><img class="size-full wp-image-3936 aligncenter" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_061.jpg" alt="ill_06" width="400" height="294" /></p>
<p>舛本先生は最後に、「平和」は誰も否定できない魔法の言葉であるとおっしゃいました。そして、単に戦争のない「消極的平和 Negative Peace」ではなく、貧困や差別、経済的格差、抑圧などの構造的暴力がない「積極的平和 Positive Peace」(ガルトゥング)を目指す「文化的平和」の方向性を示されました。</p>
<p>五色の輪が用いられているオリンピックのシンボルマークを、ほとんどの人は正確に描けません。このマークに五大陸の連帯や団結といった世界平和のメッセー ジが込められているといった本質的なことに気づかず、巨大なお金が動くブランドとしてしか認知されていない現実がそこにあります。</p>
<p>オリンピック・ムーブメントを平和運動という視点から見たとき、2020年の東京大会では、いかにして「消極的平和」から「積極的平和」へと世界の人々の考えと行動とを変えていけるのかが鍵になりそうです。(M・S)</p>
<p class="img center"><img class="alignnone size-full wp-image-3935" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_071.jpg" alt="ill_07" width="400" height="294" /></p>

第6回 テーマ「モスクワ大会ボイコット」(5/26)
ゲスト:松瀬学先生(ノンフィクションライター)

<p>「戦後、日本が参加しなかった夏のオリンピックは何回あったでしょうか?」</p>
<p>正解は2回です。1回目は1948年のロンドン大会で、第二次世界大戦直後の影響で日本には大会への招待状が送られてきませんでした。2回目は、今回の授業テーマである1980年モスクワ大会です。日本は大会への招待状を受け取っていながら、参加を拒否したのです。</p>
<p>1980年4月21日、日本政府や日本体育協会がモスクワ大会のボイコットに傾きつつあったとき、現場の監督やコーチ、選手たちはボイコットの方針に抗議するために「緊急強化コーチ選手会議」を開きました。しかし、柔道の山下泰裕選手や涙までながしたレスリングの高田裕司選手たちの意見はオリンピックへの参加にはつながらず、その年の5月24日、日本のボイコットが決まりました。</p>
<p>「もし自分がオリンピック選手だったら、どう思ったか」。受講生たちからは「悔しい」「理由が知りたい」「国籍を変えたい」「オリンピックをぶち壊したい」などの意見が出ました。実際にボイコットを経験した選手たちに、松瀬先生が「一文字で表すならば」と問いかけたところ、「残」「無」「過」などの答えが返ってきたそうです。結局、選手と役員からなる計246名の日本選手団は「幻」と化しました。</p>
<p>

</p>
<p>オリンピックの憲法とも言えるオリンピック憲章には、「オリンピックは政治の圧力に抗すべし」と書かれています。にも関わらず、なぜ日本オリンピック委員会(JOC)はボイコットを決めたのでしょうか。</p>
<p>
</p>
<p class="cp-img"><img class="alignnone size-full wp-image-2342" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_08.jpg" alt="ill_08" width="275" height="202" /></p>
<p>

</p>
<p>1979年、翌年に首都でのオリンピック開催を控えたソ連は、アフガニスタンへ侵攻しました。これに対しアメリカのカーター大統領は、「戦争を仕掛ける国でのオリンピックは、平和の祭典とは言えない!」とモスクワ大会のボイコットを西側諸国に呼びかけました。このボイコットの背景として、1)アメリカを中心とする資本主義・自由主義陣営とソ連を中心とする共産主義・社会主義陣営とが対立した冷戦と、2)オリンピック開催年に実施されるアメリカの大統領選挙の2点を、私たちは押さえておく必要があります。</p>
<p>一方、JOCがボイコットを決定した主な要因には、1)選手団派遣への国庫補助金のカット、2)アメリカからの日本政府に対する政治的圧力、3)JOCが日本体育協会内の下部組織の一つであり、組織として独立していなかったことが挙げられます。</p>
<p>

</p>
<p>ここまでの内容からは、JOCがアメリカのボイコット宣言にすんなりと追従したように見えたかも知れません。しかしその裏で、ボイコットを阻止しようと力 を注いだ人物たちがいたことを忘れてはなりません。例えば、JOC委員長の柴田勝治はアメリカによるボイコット宣言後も、日本政府の状況を考えつつ、せめ てメダル獲得が有力な選手ら少人数の選手団だけでも派遣したいとギリギリまで考えていました。しかし、ボイコット決定の数日前、彼は当時の官房長官・伊藤 正義から、ボイコットに同意するよう頭を下げられてしまいます。これこそ、政治がスポーツに介入した瞬間でした。</p>
<p>
</p>
<p class="cp-img"><img class="alignnone size-full wp-image-2343" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_09.jpg" alt="ill_09" width="275" height="202" /></p>
<p>

</p>
<p>昨年(2014年)の10月30日に採択された国連決議では、「スポーツの独立性と自治の尊重およびオリンピック・ムーブメント(運動)における国際オリンピック委員会(IOC)の任務の支持」が決められ、国際的なスポーツイベントのボイコットは許されないとうたわれました。今年の10月1日に設置されるスポーツ庁や2020年に開催される東京大会を前にして、モスクワ大会ボイコットがなぜ起こってしまったのかと問うことは、「スポーツの自立」の意味を考えることだと思いました。(R・N)</p>

第7回 テーマ「オリンピックと国際政治・外交」(6/2)
ゲスト:望月敏夫先生 (元駐ギリシャ大使・元2020年東京大会招致委員会アドバイザー)

<p>ジャック・ロゲIOC会長(当時)が封筒から「TOKYO」と書かれた紙を取り出すあのシーン。約2年前のことですが、今でも鮮明に思い出すことができます。実は、このオリンピックの招致活動に、国際政治と外交が大きく関わっていました。ゲストスピーカーの望月先生は2020年大会招致の際、ブエノスアイレスの最終プレゼンテーションと結果発表が行われた会場にいた一人です。招致の要とも言えるロビー活動を展開した元外交官の望月先生は、オリンピックと国際政治・外交は切っても切り離せない関係だと言います。</p>
<p>

</p>
<p>講義ではまず、4つのスポーツ外的要因(国際政治・外交、ナショナリズム、<br />
メディア、経済・商業主義)という枠組みと、スポーツと政治を論じる際のアプローチとして歴史的・実証的立場を採ることが示されました。オリンピックのような複雑な現象を理解し、そこに現れる問題を現代的な課題として提起するには、このように自分が焦点を当てようとするテーマの範囲を定め、どのような方法でこれを扱うのかを明確にすることが大切だと言うことが、よく理解できました。その後、国際政治の力学とナショナリズムには、それぞれ次の二面性があるとの説明がありました。</p>
<p>
</p>
<p class="cp-img"><img class="alignnone size-full wp-image-2344" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_10.jpg" alt="ill_10" width="275" height="202" /></p>
<p>

</p>
<p>国際政治の力学:「競争・対立」と「協調・共存」<br />
ナショナリズム:「ポジティブ」と「ネガティブ」</p>
<p>興味深かったのは、18世紀以降の主権国家システムの形成時から《変わらない》「競争・対立」に対し、世界の一体化・共同化を目指す20世紀以降の「協調・共存」は《変化する》性質をもっているという分析です。同じく、スポーツマンシップや公平、寛容、友好、平和といった「ポジティブ」なナショナリズムは、私たちの《努力》で強化できるのに対し、独善や排他、過剰攻撃性、ドーピング、フーリガンといった「ネガティブ」なナショナリズムは《メディア》に煽られやすいという指摘は、たいへん納得のいくものでした。</p>
<p>政治とスポーツの相互関係に入りましょう。望月先生は「政治 → スポーツ」「スポーツ → 政治」という二つのベクトルがあると言います。そして、戦前から今日までのそれらの具体的事例を現象ごとに分類して多数示した上で、「スポーツと政治の相互作用のバランスシート」と題して、次のような分析を施してくださいました。</p>
<ul class="list-number">
<li>政治 → スポーツ
<ul class="list">
<li>「スポーツ → 政治」より顕在的</li>
<li>前向きな支援が近年重要</li>
</ul>
</li>
<li>スポーツ → 政治
<ul class="list">
<li>ポジティブな動きは地道に機能</li>
<li>ネガティブな動きについては縮小努力が必要</li>
</ul>
</li>
</ul>
<p class="text">例えば、政治がスポーツに与える影響が大きい場合、スポーツに対する事件性やメディアによるネガティブ面の報道などで、スポーツ側の被害者意識が増大し、政治への拒否反応が生まれます。“Cooperative Competition(協調的競争)”という現代スポーツの研究者マッキントッシュの考えを引用しながら、望月先生は「スポーツとその外的要因を対立的関係として捉えるのではなく、これら全体を《スポーツ共同体》として捉えていくことが適切なのではないか」と結論づけました。</p>
<p>

</p>
<p class="text">ここ数日、国立競技場の資金問題などオリンピックに関して気になるニュースが増え、2020年大会への不安がにわかに増してきました。このような問題を単 に「政治 → スポーツ」という方向で傍観するのではなく、招致活動の際に語ったレガシー(遺産)とは何かをスポーツ界自身がもう一度しっかり考え、自立した考えをもと に政治に参画していくべきではないかと思いました。(M・S)</p>
<p>
<br />
<img class="alignnone size-full wp-image-2391" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_19.jpg" alt="ill_19" width="275" height="202" /><br />

</p>

第8回 テーマ「オリンピックとメディアの変遷」(6/9)
担当:和田浩一(本学国際交流学部教授)

<p>新聞やテレビ、インターネットなどのメディアは、オリンピックと密接な関係にあります。</p>
<p>メディアとはそもそも情報の記録や伝達、保管に用いられる媒体を指しますが、今日の講義ではこれをコミュニケーションの媒体と捉えて話しが進みました。表1は各種メディアの特徴と長所・短所を、受講生の発言から整理したものです。</p>
<table width="100%" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tbody>
<tr>
<td style="text-align: center;" colspan="4" bgcolor="#D9D9D9">表1. メディアの特徴と長所、短所</td>
</tr>
<tr>
<td bgcolor="#E6E6E6"></td>
<td style="text-align: center;" bgcolor="#E6E6E6">特徴</td>
<td style="text-align: center;" bgcolor="#E6E6E6">長所</td>
<td style="text-align: center;" bgcolor="#E6E6E6">短所</td>
</tr>
<tr>
<td style="text-align: center;" bgcolor="#E6E6E6">印刷メディア</td>
<td style="text-align: center;">受け手は能動的</td>
<td style="text-align: center;">論理的・深い理解</td>
<td style="text-align: center;">識字率→限界あり</td>
</tr>
<tr>
<td style="text-align: center;" bgcolor="#E6E6E6">伝播メディア</td>
<td style="text-align: center;">音・映像→感性へ</td>
<td style="text-align: center;">誰にでも伝わる</td>
<td style="text-align: center;">情緒的→大衆操作</td>
</tr>
<tr>
<td style="text-align: center;" rowspan="2" bgcolor="#E6E6E6">新しいメディア</td>
<td style="text-align: center;">双方向に発信可能</td>
<td style="text-align: center;">距離・時間・対象の制約なし</td>
<td style="text-align: center;">様々な情報が交錯</td>
</tr>
<tr>
<td style="text-align: center;">多数⇔多数も可</td>
<td style="text-align: center;">誰でも自由に発信できる</td>
<td style="text-align: center;">匿名→無責任な言動誘発</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p class="text mgb10">これらを踏まえた上で、メディアには3つの基本的な役割があることを確認しました。すなわち、1)信頼できる情報源であること、2)利益を創出すること、3)価値や規範を形成することです。</p>
<p>近代オリンピックが誕生したとき、これを伝えるメディアは新聞と雑誌(印刷メディア)しかありませんでした。現在では5,000を超える印刷メディアがオリンピックを取材していますが、1896年の第1回アテネ大会には11人のジャーナリストしかいなかったそうです。印刷メディアはこのあと約25年間ほど、オリンピックの報道を独占しました。その後、1924年に始まり1936年に国際化されたラジオが、オリンピックの臨場感を私たちに伝えるようになりました。伝播メディアの登場です。</p>
<p>ラジオの次はテレビです。身体のダイナミックな動きを映像で伝えてくれるテレビは、オリンピック(スポーツ)との親和性が非常に高く、両者は互いに大きな影響を及ぼし合いながら成長していきました。衛星放送が開始されたのは、実は1964年の東京大会でした。これが日本の技術者による努力の賜物だと考えると、とても誇らしいですね。1996年には大会組織委員会が提供する公式ウェブサイト(インターネット)が初めて立ち上がり、新しいメディアとオリンピックとの関係が始まりました。</p>
<p>授業の後半に入り、私たちのほとんどはオリンピックを生で見ていない、ということを先生が指摘しました。私たちが見るオリンピックは、あくまでも「メディアを通したもの」でしかないのです。つまり、メディアが発する映像と言葉は、私たちのオリンピックに対する知識とその価値への態度とに、たいへん大きな影響力をもっているのです。例えば、メジャースポーツはマイナースポーツに比べ、圧倒的に長く放送されます。もちろん国と地域によってその種類は異なりますが、いずれにせよ、メディアによる扱いの違いによって二者の格差がさらに広がり、これが知らぬ間に私たちのオリンピック理解(イメージ)を形作っていくのです。</p>
<p>また過去には、放送をよりショービジネス化するためのルール変更がありました。「青色柔道着の導入」と真っ先に指摘したのは、受講生でした。先生からは、バレーボールやバドミントンなどのネット型スポーツで、サーブ権を持つチームがラリーに勝った場合のみ点数が入るサイドアウト制から、サーブ権の有無にかかわらず点数が入るラリーポイント制に変更となった背景には、放送時間の枠内でゲームを終わらせたいテレビ局による圧力があったとの説明がありました。オリンピックに限らず、テレビ局がIOCやIF(国際競技連盟)に支払う莫大な放映権料を考えれば、その圧力がどれほどのものなのか、私たちにもある程度、想像がつきます。</p>
<p>最後に先生は、メディアがオリンピックを運んでいるのであれば、オリンピック自体がメディアとして機能するのではないだろうかと言いました。例えば、スポーツを媒体にした「国際協調」の価値や意義がオリンピックを通して発信できれば、世界中でこのような世論が形成される可能性が生まれるのではないかと言うのです。</p>
<p>私たちのほとんどは来年のリオデジャネイロ大会をメディアを通して観戦し、そこから見えるオリンピックの価値を自分なりに解釈していくでしょう。したがって、2020年東京大会を見据えてオリンピックをより深く理解するには、「メディアの光と影」と合わせ、やはり「オリンピックの光と影」についての学びが重要であると感じました。(R・N)</p>

第9回 テーマ「オリンピック報道におけるマスメディアの光と影」(6/16)
ゲスト:落合博先生(毎日新聞論説委員)

<p>2008年の北京オリンピックで先進国の水泳選手が着用し、一世を風靡した水着を覚えているでしょうか。日本選手は水の抵抗を極限まで押さえたこの水着を着用できたわけですが、財政に余裕のない国の選手はどうだったのでしょうか。そうです。最新式の水着を身につけてレーンに立つ選手を、見つめることしかできなかったのです。</p>
<p>選手自身の技術ではどうしようもできないこのような社会的格差を、オリンピックを報道したマスメディアは取り上げていたでしょうか。落合博先生は私たちに、このように問いかけました。</p>
<p>2012年のロンドン大会前、カンボジアに国籍を変更しマラソンに出場しようとした日本人がいました。その際、地元カンボジアのスポーツ記者は次のような記事を書いています。「オリンピックは大国のための大会。カンボジアは活躍できないから国民も興味がない。参加するのは勝者に生贄を捧げるようなものだ」</p>
<p>落合先生は以上のような事例を出しながら、オリンピック報道においてマスメディアが伝えていることと伝えていないこととを説明してくださいました。</p>
<p>社会的格差が伝えられにくいことに加え、オリンピック報道には、1)社会規範が顕著に再生産される、2)日本選手の(よき)ライバルたちの存在が見えにくい、3)「がんばれ! ニッポン!」といったメッセージが、「オリンピックのここがおかしい」と言いにくい雰囲気を作っている、といった特徴があります。</p>
<p>授業の中程で、1964年大会招致決定時に掲載された『毎日新聞』(1959年5月28日)の1面コラム「余録」に目を通しました。「カッカッとしてしまって、オリンピックに協力しない人を、非国民扱いするような風潮も心配だ」 「国費で選手を養成しろだの、有力会社に丸抱えさせろといった議論はどうかと思う。勝ちさえすればいいと思っているのだろうか」 「参加するからには勝たねばならぬなんていうこじつけは、オリンピックの精神をまったくはき違えたものと知るべきである。勝つことよりも、どうしたら参加国に満足してもらえるかの方がよほど大切である」</p>
<div class="img center"><img class="alignnone size-full wp-image-2354" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ph_02.jpg" alt="ph_02" width="540" height="405" /></div>
<p class="text">私たちの記憶に残る2020年大会招致決定時の異様なまでの歓迎ぶりや期待感、高揚感と比べ、かなり抑制の利いたトーンであることに驚きました。また、配付資料として配られた同日の社説は、「(オリンピックの)利権の奪い合い」「関係機関の間の主導権の取り合い、責任のなすりあい」「公営バクチによって費用をつくる」など、現在の日本にそっくりそのまま当てはまる状況を危惧する現実的な筆致で書かれていました。1964年大会決定時のあっさりした報道は予想外だったと、落合先生は言っていました。</p>
<p>私が個人的に驚いたのは、2020年大会招致決定時の『毎日新聞』の社説(2013年9月10日)です。そこには、「フェアプレーの精神などポジティブな面を学ぶだけでなく、過度の商業主義や勝利至上主義、ドーピングなど負の部分を学ぶことを通してバランスのとれた判断力を子どもたちに身につけさせることが重要だ」と書かれていたからです。マスメディアはオリンピック熱を煽ったり、新国立競技場の問題をヒートアップさせたりと、話題性や事件性を追求して報道していると思っていたからです。</p>
<p>最後に落合先生は、元新聞記者だった小説家・星野智幸さんによる次の言葉を紹介してくださりました。インターネット時代における新聞は、「世の中に冷や水を浴びせる役割」すなわち「世の欲望や熱狂に疑義を挟む役割」を担うのがふさわしい。</p>
<p>スマートフォンやインターネットの普及により速報性に価値が求められがちな現代において、話題となっている事象の裏側やその先を読み込んでいく力が必要です。オリンピックの正と負の両面を冷静に見つめることのできる国民の教養という無形のレガシーを作る上で、社会に信用・信頼される「スローメディア」としての新聞による報道は欠かせないと考えました。(M・S)</p>

第10回 テーマ「幻の1940年東京オリンピックから何を学ぶのか」(6/23)
ゲスト:田原淳子先生(国士舘大学教授)

<p>「この本はなんだと思いますか?」</p>
<p>そう言って田原先生は、背表紙が色あせた緑色の分厚い本を私たちに見せてくれました。その本が私のもとへ回ってきたとき、思わず食い入るように見てしまいました。背表紙には『第十二回オリンピック東京大会東京市報告書』と書かれており、中を開いてみると、競技場の設計図やポスターのデザイン、招致までの流れが事細かに記載されていたのです。今まで知ることのなかった歴史の1ページを開いたような気持ちになりました。</p>
<div class="img-2col clearfix">
<div style="text-align: center;"><img class="wp-image-2489 size-full aligncenter" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ph_031.jpg" alt="" /><br />
「東京市報告書」(1939年)より: 1940年東京五輪ポスター</div>
</div>
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<div style="text-align: center;"><img class="wp-image-2490 size-full aligncenter" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ph_04.jpg" alt="" /><br />
「東京市報告書」(1939年)より:1940年東京五輪競技場模型</div>
<div style="text-align: center;"></div>
</div>
<p class="text">私たちは今年の8月に、太平洋戦争の終戦から70年を迎えようとしています。この終戦から5年前、みなさんは東京でオリンピックが開催される予定だったことをご存知でしょうか。先ほどの本は、この幻のオリンピックの報告書だったのです。私は今日の授業が始まるまで、このオリンピックの存在をまったく知りませんでした。</p>
<p>1940年というと第二次世界大戦が本格化し、時代の転換期と重なる時期です。この年は実は日本にとって、初代天皇である神武天皇が即位してから2600年目に当たる節目の年でした。そこで日本はこの年にオリンピックを開催し、皇紀2600年を盛り上げようと考えたのです。1930年に端を発したオリンピック招致の機運は、その後の招致活動につながり、1936年に開かれたIOCベルリン総会で1940年大会の東京開催が決まりました。その前年、元貴族院議員・副島道正と国際連盟事務局次長を務めたこともある外交官・杉村陽太郎の二人のIOC委員がムッソリーニと会見し、ライバル都市であったローマの立候補取り下げを交渉していた事実も明らかになりました。</p>
<p>しかし、1940年の東京大会は実現しませんでした。その背後には「戦争」の影があったのです。</p>
<p>1937年の日中戦争勃発後、国際連盟の総会が日本軍による中国の都市への空爆に対する非難決議を満場一致で採択するなど、日本は世界から批難を浴びました。外務省の記録によれば、オリンピックの参加国は「東京大会に参加することはスポーツマン・シップを持たないか、あるいは日本のギャング的行動を勧めることになる」と意見するなど、日本にオリンピック開催の資格なしという考えを示していきました。</p>
<p>開戦後の日本ではオリンピックムードが一転し、政府も国民も戦争へと駆り立てられ、スポーツまでもが軍事化していきます。ビデオで見た俵運びや手りゅう弾投げなどの軍事的な動きを擬した国防競技は、スポーツがスポーツでなくなった時代の暗い影を私たちに感じさせてくれるものでした。オリンピック大会の開催権を獲得後、東京市は10万人収容のスタジアムの建設や大会ポスターのデザイン、記念切手、記念乗車券まで準備していたのに、1938年7月16日、大会組織委員会はオリンピックの中止を決定します。</p>
<div class="img center"><img class="alignnone size-full wp-image-2500" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_191.jpg" alt="ill_19" width="379" height="291" /></div>
<p>以上の経緯を聞いたとき、私は「戦争を終わらせようと誰も考えなかったのか」と思いました。その疑問は田原先生の話によって、すぐに氷解しました。「1930年頃は招致を成功させようとみんな同じ方向を向いていたけれど、戦争が活発化するにつれて、オリンピック側と戦争側に分かれていったのです」。この説明を聞いたとき、今でも同じようなことが起こり得るのではないかと思いました。現在、「ALL JAPAN」という言葉でオリンピックに向けた日本の団結力を世界に示していますが、その裏側には、スポーツ側の意見が国の政策に届いていなかったり、モスクワ大会のボイコットのようにスポーツが政治に利用されたりしている現実があるからです。2020年大会開催のチャンスを与えられた私たちは、同じ過ちを繰り返さないために、近代オリンピックを始めたクーベルタンが「オリンピックは平和の祭典だ」と説いた意味を、もう一度理解する必要があります。</p>
<p>幻の1940年東京大会から学べることは、負の側面ばかりではありません。1940年から24年後の1964年、東京はアジア初のオリンピックを開催することになるのですが、メイン会場などの設計プランのいくつかは、1940年に考えられたものが引き継がれました。また、1964年大会を支持してくれたIOC委員たちの多くは、「1940年にオリンピックを東京で開催したい」と粘り強く交渉を行ったアジア初のIOC委員・嘉納治五郎に、思いを馳せていたと言います。</p>
<p>オリンピック開催権を返上したという、言うなれば「負のレガシー」があるからこそ、私たちはなぜそうなったのかを考え、再発防止に向けた行動を取ることができます。今日の授業では、1940年東京大会の「負のレガシー」が「正のレガシー」に変わる瞬間を体感できた気がしました。(M・Y)</p>

第11回 テーマ「東京のレガシー、北京のレガシー」(6/30)
ゲスト:藤原庸介先生(日本オリンピック委員会理事・元NHKプロデューサー・元北京オリンピック放送機構情報部長)

<p>第2回の講義で学んだように、オリンピックを考える上でレガシー(遺産)という概念は欠かせません。国立競技場や代々木体育館、首都高速道路、新幹線など、オリンピックを契機に整備され現在でも利用されている建造物や交通網などは、「目に見えるレガシー」と呼ばれています。もちろん、「目に見えないレガシー」も存在します。今回の授業では、1964年東京大会と2008年北京大会を例に、これら2つのレガシーについて具体的に考えました。</p>
<p><strong>1.1964年東京大会</strong><br />
冒頭で挙げた例の他にも、現代社会に欠かせない施設で、東京オリンピックに合わせてつくられたものがあります。ホテルオークラ東京やホテルニューオータニなどの洋風ホテルです。東京大会以前は日本式の旅館こそ数多くあったものの、ベッドを備えた宿泊施設はごく一部のホテルを除き、ほとんどなかった時代でした。</p>
<p>2つめに注目したいのは、技術的なレガシーです。私がこの原稿を書いている今日、テニスの錦織圭選手がウィンブルドン選手権で初戦を突破しました。私たちはこの試合を生中継で観戦することができました。実は、この生中継は東京大会で確立した技術でした。それまでは、現地で録画したビデオテープフィルムを飛行機で持ち帰り、これを再生して放送していたのです。衛星を使った生中継を世界で初めて成功させた当時の日本人技術者の喜びは、計り知れないものだったと思います。生中継にとどまらず、今では当たり前となっている直前のプレーをスローモーション映像で即座に流す技術も、この東京大会から始まりました。ちなみに、スローモーション映像に変換するための機械はたくさんの真空管を使っていたため、1.2トンもあったそうです。</p>
<p>藤原先生は「オリンピックが開催されなかったとしても、数年後あるいは十数年後には、これらの技術は開発されていただろう。しかし、オリンピックは技術の開花を確実に促したと言える」と話されました。東京大会の開催に照準を合わせて次世代の技術が開発されたので、前述の放送システムはオリンピックの技術的レガシーと言ってよさそうです。普段、私たちはほとんど気づいていないのですが、このように、1964年東京大会のレガシーは現在の社会をしっかり支えているのです。</p>
<p><strong>2.2008年北京大会</strong><br />
藤原先生は北京オリンピック放送機構という国際組織の情報部長として、北京大会の放送の一翼を担いました。その放送やプレスなどメディアの中枢であるセンターとプレスセンターには、世界中の記者や報道陣が集まってきました。藤原先生はこれらの施設のボランティアに清華大学(本学の交換留学協定校です!)と北京大学の学生が割り当てられたと、話を切り出しました。</p>
<p>中国国内トップレベルの大学に通う学生たちは非常にエリート意識が高く、当初は国内の常識に従って、ボランティアの現場で発生するさまざまな案件を処理していました。しかしオリンピックという国際的な祭典で、中国固有の常識は通用しません。例えば、言論が統制されている国内の記者とは異なり、海外メディアの記者によるIOCや北京の組織委員会に対する質問は鋭く、辛辣なものも少なくありませんでした。このような外国人ジャーナリストたちによる大会運営への批判的な態度を通し、ボランティアの学生たちは、自分たちの社会ひいては国際社会の現状と未来とを考える際にとるべき姿勢を学びました。中国の将来を担う学生たちが新たに得た「広い視野と価値観を変える経験こそが、北京オリンピックのレガシーだ」と藤原先生は結論づけました。</p>
<p>私たちは最後に、1964年の東京大会で撮影された3枚の写真を見ました。1枚目の写真には、ガーナ人とインド人がそれぞれの手に楽器を持ってセッションをしている様子が写っていました。2枚目はいろいろな国の選手たちが取り囲む中で行われた結婚式の写真、3枚目はソ連(当時)の女子バレーボール選手たちが着物を着ている写真です。これらの写真は、異なる国の選手たちがひとときをともにしたり、訪れた土地の文化を体験したりする機会が、1964年の東京大会にはあったことを物語っています。しかし、今はどうでしょう。2012年ロンドン大会で日本選手団役員として選手村に寝泊まりした藤原先生は、「選手村では他国の選手はおろか、自分の国でも他の種目の選手と交わる光景は見られなかった」とおっしゃいました。自らの勝利のため、また1cm、0.1秒のため、選手たちは最終調整に追われていたに違いありません。</p>
<p>「国が違っても個人的に知り合えば、戦争が起きにくくなる → 言葉が違ってもスポーツは一緒にできる → いろいろな国の人々が一堂に会する仕組みを作ろう」。2012年大会の選手村での様子を聞く限り、現在のオリンピックはこのようなクーベルタンの考えと大きくかけ離れているようです。</p>
<p>これに警鐘を鳴らしたのが、ジャック・ロゲ前IOC会長です。彼は、将来オリンピックに出場する可能性の高い14歳から18歳までのアスリートを対象とするユース・オリンピックを2010年に開始し、もう一度クーベルタンの考えに戻ろうとしたのです。ユース・オリンピックには国や性別を超えた混合チームによる競技や、全競技者を対象とする文化教育プログラムなど、クーベルタンの構想を具現化するようなユニークな仕掛けがちりばめられています。2014年の第2回ユース・オリンピック南京大会の団長を務めた藤原先生は、「2020年の東京大会には、ユース・オリンピックを経験した選手が数多く出場するだろう」と言いました。そのとき、ユース・オリンピックを経験した選手たちが既存のオリンピックに飲み込まれてしまうのか、それともこれまでの慣習やイメージを覆し新たなレガシーを築くことができるのか。2020年大会はこの意味で、近代オリンピックの大きな転換期になるかも知れません。</p>
<p>私たちは2020年に東京大会を開催するにあたり、なぜオリンピックが生まれたのかをもう一度、問い直す必要があります。この問い直すという行動が、実は2020年大会の「目に見えないレガシー」になるのではないかと期待しています。(M・S)</p>

第12回 テーマ「2020年大会後を見据えて:2012年ロンドン大会を読み解く」(7/2)
担当:和田浩一(本学国際交流学部教授)

<p>最近、新国立競技場建設の問題や、2020年の東京大会で新たに採用される競技の絞り込みなどのニュースを耳にするようになりました。今回は2020年東京大会をどのように考えていくべきなのかを探るため、歴史・現代社会・ジェンダーという視点から、2012年のロンドン大会を分析しました。</p>
<p>さて、近代スポーツ発祥の地であるイギリスの首都ロンドンは、3回のオリンピックを開催した世界で唯一の都市です。成熟した都市ロンドンでのオリンピック開催から、私たちはどのようなことを学べるでしょうか。</p>
<p>まずは歴史的な視点からロンドン大会を俯瞰してみましょう。</p>
<p>ロンドンで初めて開かれたオリンピックは1908年です。全競技者2,008名のうち、女子選手は残念ながら37名(2%)だけでした。アーチェリーの矢を射る女子選手たちの映像には、全員がドレスを着て帽子をかぶっている様子が映し出されていました。0.1秒、1cmを競い合う現代のオリンピックでは、考えられない光景です。他にも、競泳プールにコースロープは無いし、走り高跳びの着地点に敷かれるふかふかのマットもありません。ですから、水泳選手はまっすぐ泳ぐためにときどき前方を見たり、走り高跳びの選手は背面跳びではなくバーの正面から助走するはさみ跳びをしたりと、そこには今とは異なるスポーツ技術がありました。</p>
<p>みなさんは「参加することに意義がある」という言葉をご存じだと思います。この有名な言葉が生まれたのは、実は1908年のロンドン大会でした。</p>
<p>“The important thing in the Olympic Games is not winning but taking part. The essential thing in life is not conquering but fighting well.<br />
(オリンピックで重要なことは、勝利することではなく参加することである。人生で大切なことは、勝つことではなくよく闘うことである)”</p>
<p>このフレーズはオリンピックの本質を的確に表す言葉として、1948年ロンドン大会の開会式の際にメインスタジアムの大きな掲示板に掲げられました。</p>
<p>

</p>
<p>私たちがさらに注目すべき点は、この1908年大会期間中のロンドンこそが、まだオリンピックとは縁のなかった日本に参加を呼びかけるため、クーベルタンが駐日フランス大使オーギュスト・ジェラールに手紙を認(したた)めた場所だったことです。「IOC委員に《打ってつけの》日本人を捜してほしい」という依頼に答え、柔道の創始者であり当時、東京高等師範学校(現在の筑波大学)校長だった嘉納治五郎を、ジェラールはクーベルタンに推薦しました。このような経緯があり、翌1909年にアジア初のIOC委員となった嘉納は、氷川丸の船上で亡くなる1938年までの約30年間にわたり、オリンピック・ムーブメントの推進に尽力することになります。</p>
<p>
</p>
<p class=""><img class="alignnone size-full wp-image-2345" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_11.jpg" alt="ill_11" width="275" height="202" /></p>
<p>

</p>
<p>ロンドンでの2度目のオリンピックは、第二次世界大戦後初の大会となった1948年です。実はこの大会に、日本とドイツは招待されませんでした。理由は、第二次世界大戦によってイギリス国民が抱いた両国に対する憎悪感情だと言われています。しかし、日独伊三国間条約を結んでいたイタリアは、この大会に招待されました。日本・ドイツとイタリアとの違いがどこにあったのかは、まだはっきりと解っていないそうです。もし2020年大会の直前に戦争が起きたら、その当事国はオリンピックに招待されるのか、あるいはされないのか。様々な場合を想定して準備するためにも、1948年大会の招待国に関する疑問の解明が望まれます。</p>
<p>そして3度目の開催は、日本がロンドン大会初参加そしてオリンピック大会参加100年目となった2012年です。無事に閉幕したかに見えた2012年大会ですが、その裏では実に困難な問題が立ち上がっていました。なんと2012年大会の開催が決定した翌日(2005年7月8日)、ロンドンの中心部で同時爆破テロが起こり、56人の方が犠牲になったのです。もし平和の祭典であるオリンピックの開催期間中に、ロンドンでテロが起きたとしたら……。これは国際社会に大きな衝撃を与えることになりかねません。</p>
<p>このようなテロ対策として、ロンドン市内の公園やマンションの屋上には地対空ミサイルが配備されました。2020年の東京大会開催時にこのような地対空ミサイルが都内に配備されることになったとしたら、私たちは違和感を覚えるに違いありません。招致活動では治安の良さをアピールしていた東京ですが、先日(6月30日)、小田原市を走行中の東海道新幹線で焼身自殺による火災が発生したように、私たちが安全だと考えてきたものにも危険が潜んでいることが明るみに出てきました。したがって、どのようなところに危険があるのか、またこれらの危険への有効な対策とは何なのかを、しっかり考える必要があります。</p>
<p>

</p>
<p>最後にジェンダーという視点から、2012年のロンドン大会を振り返りました。<br />
1908年のロンドン大会で2%に過ぎなかった女子選手の割合は、<span class="ank-03">第3回の來田先生による講義の資料(図1)</span>から分かるように、2012年大会では44%(4,676/10,568人)にまで増加しました。この他にも、1)女子ボクシングが採用され26競技すべてにおいて女子競技が実施されたこと、2)サウジアラビアとカタール、ブルネイが女子選手を派遣し、204のすべての国と地域から女子選手が出場したこと、3)メダル大国アメリカが女子選手の方が多い選手団を初めて派遣したこと、また日本選手団も女子選手の方が多くこれは2度目であったことが示されました。<br />
つまり2012年のロンドン・オリンピックは、女性の存在感が増した大会だったのです。</p>
<p>
</p>
<p class=""><img class="alignnone size-full wp-image-2346" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_12.jpg" alt="ill_12" width="275" height="202" /></p>
<p>

</p>
<p>2012年のロンドン大会を複数の視点から読み解くことは、実は2020年の大会とその後の東京に、どのようなレガシーをどのように残すのかという未来を考える行為につながります。新国立競技場の問題に限らず、これから2020年大会に向けて様々な問題が起きていくと思いますが、人類にとってよりよいレガシーを残せるように、私たちは2012年のロンドン大会の経験を活かすべきだと思いました。(R・N)</p>

第13回 テーマ「国際オリンピック委員会の光と影:お金という『現実』と『理念』のはざまで」(7/7)
ゲスト:結城和香子先生(読売新聞編集委員)

<p>私たちはここまで「オリンピックの光と影」という大きなテーマの中で、歴史やジェンダー、ボイコット、政治、経済といった様々な視点からオリンピックについて学んできました。結城先生による講義は、今まで学んできた内容が集約されたような授業となりました。</p>
<p>最初のトピックは「スポーツの力とIOCの理念」、すなわちオリンピックやスポーツの「光」の部分です。まず女子サッカーの「なでしこJAPAN」が、その例として挙げられました。私はこれまで個人的に、彼女たちの活躍に強く惹きつけられてきました。このような人は他にも大勢いるに違いありません。しかし、このような力をもったなでしこの魅力とは何だろうという疑問に、私はずっと自答できないままでした。</p>
<p>しかし私はこの授業で、一つの答えを見つけることができました。和気あいあいと練習する一方、大きな大会を乗り越えるたびに強くなる彼女たちの魅力は、団結力だと気づいたのです。「私が、私が」と自分本位に動いてしまいがちな試合において、彼女たちにはそのような傾向があまり見られないと結城先生はおっしゃいました。</p>
<p>2日前(7月5日)に全日程が終了したばかりの「FIFA女子ワールドカップ・カナダ2015」でも、確かにその団結力が示されました。日本は予選グループの初戦(6月8日)でスイスと戦ったわけですが、フォワードの安藤梢選手は前半に相手ゴールキーパーと交錯して左足首を骨折し、途中交代を余儀なくされてしまいました。彼女は6月12日に行われたカメルーン戦はスタンドから見届けましたが、手術を受けるため2日後の14日に帰国しました。</p>
<p>安藤選手は帰国してしまいましたが、残ったメンバーは彼女を忘れることはありませんでした。1次リーグ最終戦のエクアドル戦(6月16日)からは彼女に見立てた白クマのぬいぐるみにユニフォームを着せ、ベンチに置いたのです。今大会に出場した選手たちは「23人全員で戦う」とよく口にしていましたが、ベンチに置かれたユニフォームはこの言葉を象徴するシーンでした。</p>
<p>続いて結城先生は、2014年2月17日付『読売新聞』の記事を用いながら、ソチ冬季大会で金メダルに輝いたフィギュアスケートの羽生弓弦選手が、「自分自身への喜びではなく、人々のために自分は何ができるのかという葛藤」を吐露した記者会見の様子を紹介してくださいました。自分をより高めようとする努力に加え、仲間との絆や相手を尊重する心、国籍や文化などの違いを超えた友情を育みながら平和でよりよい社会をつくることは、国際オリンピック委員会(IOC)の理念に他なりません。金メダル獲得直後に自分のことではなく他者への思いを口にした羽生選手は、IOCの理念が決して絵空事ではないことを私たちに伝えてくれました。なでしこJAPANと羽生選手の例のように、スポーツが人間の生き方を見せてくれるという事実は、オリンピックの光の部分として社会で共有されるべきだと思います。</p>
<p>引き続いて、このような「光」との対極にある「影」の部分へと、話は進んでいきました。具体的には、お金が引き起こすスポーツ(界)のひずみや行きすぎです。例として挙がったのは、<br />
1)2002年ソルトレークシティー冬季大会招致にかかわる買収が行われるなどしたIOCのスキャンダル、2)今年の4月20日に、非オリンピック競技を 含む各種の国際スポーツ団体が加盟するスポーツアコードのビゼール会長が、IOCが推進する中長期の改革案「オリンピック・アジェンダ2020」を痛烈に 批判したスポーツアコード騒動、3)同じく今年の5月末に明るみに出たFIFA幹部による汚職事件でした。スポーツアコードの騒動とFIFAの汚職事件に 関する臨場感溢れる解説は、現場で取材した直後の結城先生ならではのものでした。</p>
<p class="img center"><img class="size-full wp-image-2347 aligncenter" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_13.jpg" alt="ill_13" width="350" height="257" /></p>
<p>その上でトピックは、前述の「アジェンダ2020」と社会的な関心が沸騰しつつある新国立競技場の建設問題に移っていきました。<br />
オリンピックの改革案である「アジェンダ2020」が生まれた背景には、大会規模が大きくなるにつれて建設や運営などに莫大な経費がかかるようになり、 2022年冬季大会の開催地に立候補したのがアルマトイ(カザフスタン)と北京の2都市に限られてしまったことがあります。大会に莫大な費用がかかり開催 地として立候補する都市がなくなってしまうと、<span class="ank-02">オリンピック・ムーブメント</span>を推進できなくなってしまうとIOCは考えたのです。</p>
<p class="img center"><img class="size-full wp-image-2348 aligncenter" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_14.jpg" alt="ill_14" width="350" height="257" /></p>
<p>現在(授業日の7月7日)、新国立競技場の建設については「2520億円もの費用を使って建てるべきものなのか?」「費用をもっと押さえて、シンプルな競技場を作ればよいのではないか?」「オリンピックが終わったあとも、膨大な維持費がかかる」など、主に経済的な視点からの議論が続いています。しかし、多少お金はかかっても、50年後にスポーツ振興の象徴として「素晴らしい」と思ってもらえるよりよい競技場にしてはどうかという、無形のレガシーという視点からの議論はほとんどありません。大切なのは、よりよい人間の生き方を見せてくれるスポーツの力と経済的な効果とのバランスを考えた議論です。</p>
<p>1964年の東京大会に合わせて整備された旧国立競技場は、オリンピック後も日本陸上競技選手権大会や天皇杯全日本サッカー選手権大会(元旦に決勝戦が行われている大会です)、全国高等学校サッカー選手権大会、日本ラグビーフットボール選手権大会などに使われ、スポーツ界の聖地と呼ばれていました。満員の旧国立競技場で開かれた1964年東京大会の開会式をビデオで見たとき、私はこの目で直接大会を見たわけではないのに何とも言えない感動を覚えました。これが結城先生のいうオリンピックの無形のレガシーに違いありません。2020年に実に56年ぶりとなるオリンピックを迎え入れるのだからこそ、次の50年に渡って誇りに思える競技場とは何かについて、言い換えればスポーツを通したレガシーを大会後にどう育んでいくのかについて、私たち自身が考えていく必要があります。 (M・Y)</p>
<p>[授業から10日後の7月17日、安倍晋三首相は新国立競技場のデザインを含む建設計画を抜本的に見直す方針を表明しました]</p>

第14回 テーマ「2020年東京オリンピック・パラリンピックと私たち」(7/21)
ゲスト:雜賀真先生(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会CCO・総務局長)

<p>今回は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下、組織委員会)チーフ・コンプライアンス・オフィサーで総務局長の雜賀真先生から、大会の準備状況についてうかがいました。その中には、組織委員会で実際に活躍なさっている雜賀先生ならではの情報も、数多くありました。</p>
<p>まずは、現在ニュースで大きく取り上げられている「新国立競技場」に関する話題です。ご存じのとおり、安倍晋三首相がこの授業の4日前(7月17日)に、新国立競技場のデザインを含む建設計画を抜本的に見直す方針を表明したところです。見直しのスケジュールによれば、競技場の完成予定は2020年春となります。当初は2019年の第9回ラグビー・ワールドカップをこの競技場で行う予定でしたが、それは不可能となりました。組織委員会においては、2020年東京大会のテスト・イベントをどのように行うのかが大きな課題となっているとのことです。</p>
<p>話しの途中で、ある受講生から、国民から集めた多額の税金を新国立競技場に使うことについて、組織委員会ではどのように考えているのかと質問があがりました。すると雜賀先生からは、「オリンピック大会後もその土地に残る国立の競技場については、国が建設・維持管理を担当しています。組織委員会はオリンピックに直接かかわる事業(準備と運営)を行う組織なので、税金という収入項目はありません」との回答がありました。ニュースを見ていても分からなかった組織委員会の役割(立場)と税負担の有無を知ることになった、貴重な質疑応答になりました。</p>
<p>新国立競技場以外の各競技施設については、既存施設の使用が再検討されました。これは<span class="ank-13">IOCが推進する中長期の改革案「オリンピック・アジェンダ2020」</span>によって示された、「オリンピック競技大会の費用の削減および運営の柔軟性の強化」という提言にもとづいたものです。この見直しによって、本学のある神奈川県では横浜国際総合競技場(日産スタジアム)でのサッカーの予選(予定)に加え、江ノ島でのセーリングの開催が決定しました。これ以外にも、バスケットボールはさいたまスーパーアリーナで、フェンシングとテコンドー、レスリングは千葉県の幕張メッセで行われることになり、立候補時の計画とは異なる東京都以外の複数の会場使用が決まりました。この見直しにより、晴海に建設予定の選手村からの移動距離は長くなりますが、施設の建設費を抑えることができます。</p>
<p>続いて先ほど少し触れた、オリンピックの準備・運営など組織委員会の財政に関する話です。収入・支出とも、立候補ファイルベースで3,013億円が想定されています。このうち収入では、全体の3分の1にあたる約1,000億円を、IOCおよびIOCと契約を結んでいるTOP(The Olympic Programme)スポンサーが負担します</p>
<div class="img center"><img class="alignnone size-full wp-image-2588" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_151.jpg" alt="ill_15" width="542" height="305" /></div>
<p>次に、私たち学生がオリンピックに参加できるチャンスとなる可能性が高いボランティアへと、話は移りました。ボランティアには、1)会場案内や誘導、競技運営など主に会場内での大会運営をサポートする大会ボランティアと、2)空港・主要駅・観光スポットで交通・会場・観光案内等のサービスを提供する都市ボランティアの2種類があります。</p>
<p>2012年のロンドン大会では、大会運営の中枢に携わった約7万人のボランティアが「Games Maker(大会を作る者)」と呼ばれ、その活躍がオリンピック大会を成功に導いた要因の一つであると評価されています。「彼(女)らはあのウサイン・ボルト選手が近くを通りかかってもサインを求めたことはなく、プロのボランティアだった」というオリンピアンの言葉を、雜賀先生は紹介して下さいました。現在、組織委員会は大会ボランティア8万人、東京都は都市ボランティア1万人の採用を予定しているそうです。受講生からは「どうしたらボランティアとして参加できるのか」という質問が出ました。雜賀先生は、「英語の他にもう1ヶ国語話せる人や専門的な知識を持っている人、あと一番は熱意のある人」とおっしゃいました。東京でのオリンピック大会が現実のものになりつつあることを実感させてくれる質疑応答でした。</p>
<div class="img center"><img class="alignnone size-full wp-image-2589" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ld14_02.jpg" alt="ld14_02" width="542" height="305" /></div>
<p>最後の話題は、組織委員会が全国777大学と協定を結んでいる「大学連携」です。大学連携の目的は、全国の大学・短大と組織委員会とが連携し、それぞれの資源を活用して1)オリンピック教育の推進、2)グローバル人材の育成、3)パラリンピックの理解促進、4)広報活動、5)イベントの開催などを行うことです。特に、今まさに私たちが受けているこの授業をはじめとするオリンピックの教育に「たいへん期待している」との話がありました。たいへん複雑な世界的一大イベント(ムーブメント)であるオリンピックの光と影(表と裏)とを学んだ大学生が、地元の小学生・中学生・高校生にその内容を伝えていくことで、5年後の2020年には、オリンピックの実相を理解した分厚い若者層が東京大会を支えるとともに、その後のオリンピック・ムーブメントへの展望を次の都市・次の世代に語ることができるからです。</p>
<div class="img center"><img class="alignnone size-full wp-image-2590" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ld14_03.jpg" alt="ld14_03" width="542" height="305" /></div>
<p class="text">授業の後半40分間で予定されていた質疑応答では、これまでに得た知識や最近のスポーツ・政治・経済の動静などをもとに、今日の授業内容に関する疑問点やそれぞれの意見を質問の形で雜賀先生に問いかけました。白熱した質疑応答は授業終了のチャイムが鳴っても収まる気配を見せず、質問し足りなかった学生はそのまま教室に居残り、最終的には終了時刻を25分もオーバーしてしまいました。質問が1時間以上途切れなかったという数の面だけではなく、ゲストの雜賀先生と担当の和田先生をうならせた質問がいくつもあったという質の面でも、学びの集大成にふさわしいたいへん満足のいく時間となりました。(R・N)</p>

第15回 テーマ「まとめ(レポート発表会)」(7/28)
担当:和田浩一(本学国際交流学部教授)

<p class="text">15回目の今日は、いつもとは異なる始まり方でした。私を含む4人が突然、前に呼び出され、Kさんがこの授業の提案者として、SさんとNさんと私がウェブサイト掲載の授業レポート担当者として紹介されたのです。あまりにも突然だったことと、いつもゲストの先生方にそうされたように、和田先生が私たちを丁寧に紹介してくださったこととに、たいへん驚きました。</p>
<p>さて今日の最終授業では、自分たちが書いてきたレポートを、1)最初は3人のグループで、2)次に2人のグループで、それぞれ発表し合いかつ互いにコメントを出し合いながら、レポートの課題への理解を深めていきました。レポートの課題は以下の3点です。</p>
<ul class="list-number">
<li>自分自身のオリンピックへの理解の具体的な変化とその意味:この授業を受ける前と比較して</li>
<li>オリンピックについてさらに学びたいテーマとその理由</li>
<li>2020年東京大会への個人的な関わり方に関する具体的なアイディアとその理由<br />
(それぞれ400字以内)</li>
</ul>
<p class="text">授業の冒頭で紹介された私たち4人には、記者として各グループの発表を見て回り、インパクトのある内容や斬新なアイディアを見つけるという役割が課されました。</p>
<p>第1ラウンドは20分間で3人が発表しなければならなかったので、発表者は全体の時間を考慮し、レポートの一部を端折りながら急いで発表している感じでした。しかし、第2ラウンドで2人1組になると1人あたりの持ち時間が長くなり、聞き手が発表者にコメントしたり発表内容について質問したりする時間が確保され、2人で議論を続ける姿が数多く見られました。この授業のよいところは、まさにこの点にありました。受講生には発言する機会がたくさん与えられ、自分の意見を発信することができます。これを聞いた他の受講生は「こういう見方もあるのか」と、自分とは異なる考え方があることを知り、視野がどんどん広がります。<br />
「積極的に質問したり意見を述べたりする学生の姿勢を、ゲストの先生がとても褒めてくださった」。和田先生は授業のたびに、嬉しそうにみんなに話していました。小さな質問や意見でも、これが他の受講生の視野を確実に広げてくれる力があることを、ゲストの先生方も和田先生も知っているに違いありません。質問と意見を積み重ねるにつけ、受講生のモチベーションは高まり、各テーマに関して自分の意見をしっかり持つ人が増えたように思います。それゆえ、毎回新しい発見がありました。</p>
<p class="img center" style="text-align: center;"><img class="wp-image-2350 size-full" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_16.jpg" alt="" /><br />
レポート課題1</p>
<p>今日はレポートの課題2で、新しい発見がありました。「オリンピックについてさらに学びたいテーマとその理由」という課題に対し、ある受講生が、文学部コミュニケーション学科で学んだことを生かしてオリンピックの広告について研究したいと発表していたのです。歴代の大会ポスターやスポンサーによる宣伝の仕方など、この授業では扱われなかったことを学んでみたいという内容です。どのようにして理解したらよいのか糸口がなかなか掴めない複雑で巨大なオリンピックを、自分が所属する学科での学びに引きつけながら切り込もうとする姿勢が新鮮で、強く印象に残りました。</p>
<p class="img center" style="text-align: center;"><img class="wp-image-2351 size-full" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_17.jpg" alt="" /><br />
レポート課題2</p>
<p>最後に、他己(?)紹介ならぬ他者レポート紹介です。「これはみんなに伝えたい」という他の受講生のレポートを、希望者が全員に紹介していきました。小さなグループの中で生まれたオリンピックに関する新しい発見が、受講生全員で共有され、これまでの学びのまとめとなりました。</p>
<p class="img center" style="text-align: center;"><img class="wp-image-2352 size-full" src="https://www.ferris.ac.jp/wp-content/uploads/2015/12/ill_18.jpg" alt="" /><br />
レポート課題3</p>
<p>私はウェブサイトで発信する授業レポートを書くことで、学んだことを整理して分かりやすく伝えることの難しさを身をもって知るとともに、分かりやすく人に伝えるという態度がたいへん大切であることを強く認識しました。授業レポート作成を持ちかけてくださった和田先生と、すでにレポートを作成していたSさんとNさん、そして何よりもこの授業を提案してくださったKさんに感謝しています。(M・Y)</p>