アンネのバラ育成プロジェクト

アンネのバラはベルギーの園芸家、ヒッポリテ・デルフォルヘ氏が作出した新品種のバラで、“souvenir d’Anne Frank”(直訳すると「アンネ・フランクの思い出」、日本では「アンネ・フランクの形見」といわれる)と命名されました。「戦争のない、平和な世界に」というアンネの願いがこめられています。

2003年11月17日(月)、フェリス女学院大学緑園キャンパスにおいて、アンネのバラ植樹式が行われました。最初の植樹記念礼拝では、NPO法人ホロコースト資料センター副理事長(当時)である黒川万千代さんから貴重なお話を伺い、その後参加者の手により、花壇に苗が植樹されました。本学のチャペルで、毎年この週に、植樹記念礼拝が行われています。またアンネの誕生日である6月12日に近い日を選び、記念礼拝を行っています。


春には小さな苗だったバラが花咲き、夏の暑い日ざしの中でも力いっぱい根をはって、空に向かって伸びるアンネのバラ・・・。

台風が多かった夏も、アンネプロジェクトスタッフと園芸ボランティアの愛情に守られ、秋にも見事に美しい花を咲かせました。

園芸ボランティアの学生が、咲ききったバラの花びらでポプリを作り、お世話になっている学内の方々に配りました。

クリスマスと正月のお休みを終えた学生が緑園キャンパスにもどってきたとき、「アンネのバラ」は、寒い雨雪の中に、美しく咲いていました。

その姿は、戦争や災害の犠牲となった方々を思い、また、今、様々な地域で、必死で生きようとしている方々のいのちの大切さを、黙って伝えているようにも見えました。

今後もフェリスのアンネのバラを温かい目で見守っていてください。

「アンネのバラ」について
『アンネの日記』を書いたユダヤ人少女アンネ・フランクは、第2次世界大戦の終結前、ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所に収容され、15歳で病死しました。その14年後の1959年、スイス旅行中のベルギー人園芸家ヒッポリテ・デルフォルヘ氏は、アンネ・フランクの父オットー・フランク氏に出会い、アンネが自然をこよなく愛していたこと、特にバラの花が好きだったことを知りました。
以前から『アンネの日記』に感銘を受けていたデルフォルヘ氏は、1955年に自ら作出したバラに、1960年になって「Souvenir d’Anne Frank」(直訳すると「アンネ・フランクの思い出」、日本では「アンネ・フランクの形見」といわれる)と名付け、発表しました。
1971年、大槻道子という日本人がオットー・フランク氏と奇跡的に出会い、翌年のクリスマスにフランク氏からバラの苗木を10本を分けていただきました。その後、山室隆一氏にバラの増殖が託され、隆一氏が亡くなられた後はご子息建治氏がその栽培を受け継ぎ、アンネのバラは「戦争のない、平和な世界に」というアンネの願いとともに、日本全国に広まっています。
「アンネのバラ」は、蕾の時は赤、開花すると黄金色になり、時間の経過とともにサーモンピンクに変色し、やがて更に濃いピンクに変色するという具合に、色が変わっていきます。さまざまに色を変えるバラを「アンネのバラ」として選んだことには、意味があります。
アンネは豊かな才能を秘めたまま戦争と民族差別のために、若くして命を奪われました。そんな彼女が生きていたなら、その才能を活かし、人生において幾つもの美しい花を咲かせたに違いありません。多彩に変容する「アンネのバラ」には、多くの可能性を秘めたアンネを表現し、平和を祈るというヒッポリテ・デルフォルへ氏の願いが込められています。