2017年04月10日

ボランティアセンター 2016年度第3回学生スタッフ研修会報告 ―沖縄で「平和」を考える―

2016年度センター長 高柳彰夫

第3回学生スタッフ研修会は6名の学生と、上條前コーディネーターとセンター長高柳が参加して「平和」をテーマに、3月17日(金)-19日(日)の2泊3日で沖縄で行いました。いうまでもなく、沖縄では第二次世界大戦の末期に日本で唯一の地上戦である沖縄戦が戦われ、20万人以上の死者のうち9万4000人は沖縄の市民でした。その後、米占領下におかれ、1972年5月15日に「復帰」を果たした後も、現在でも沖縄本島の20%近い土地が米軍基地・施設で、面積をベースに日本の米軍基地の74%が沖縄に集中しています。このような問題を念頭に置きつつ、復帰45周年の年の沖縄研修を行いました。

■第1日:ひめゆり平和祈念資料館、沖縄県平和祈念資料館見学
1日目は、午前11時過ぎに那覇空港に到着後、レンタカーで糸満市のひめゆり平和祈念資料館と沖縄県平和祈念資料館を訪問しました。ひめゆり平和祈念資料館は、「ひめゆり学徒隊」について体験を伝えつつ平和の大切さを伝える資料館です。沖縄戦では沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校からは、生徒222名、教師18名が南風原(はえばる)の沖縄陸軍病院に動員され「ひめゆり学徒隊」と呼ばれるようになりました。沖縄戦末期の南部撤退とともに「ひめゆり学徒隊」も南部に移動し、沖縄戦末期の6月18日に戦火に囲まれる中「解散命令」が出されました。生徒・教員240名のうち、136名が亡くなりました。
沖縄県平和祈念資料館は、沖縄戦を中心に、明治初期の「琉球処分」による琉球王国の日本への併合や戦前の日本への同化政策、米軍統治や復帰運動について多数の展示があります。両資料館の見学を通じて、主に沖縄戦について学びました。

ひめゆりの塔

沖縄県平和祈念資料館

■第2日:普天間基地・コザ訪問
2日目は、路線バスで移動しながら米軍基地の問題、そして前日に引き続き沖縄戦について学びました。まず、テレビのニュースなどでよく見る映像が登場する嘉数(かかず)高台公園から普天間基地を見ました。周囲に市街地がひろがる普天間基地が危険な存在であることを実感しました。このあたりは沖縄戦の激戦地でもあり、公園内にある陣地壕跡も見ました。

嘉数高台公園から見た普天間基地

その後、普天間基地に隣接し、返還地に建てられた佐喜眞(さきま)美術館を訪問しました。ここは丸木位里(いり)・俊(とし)夫妻の『沖縄戦の図』で知られています。また、屋上から普天間基地を見ることができます。

フェンスの向こうは普天間基地

お昼は北中城村(きたなかぐすくそん)のイオンモール沖縄ライカムでとり、若干の自由時間もありました。イオンモール沖縄ライカムは米軍泡瀬ゴルフ場だった返還地を全国有数のショッピングモールに整備し、2015年に開業し、3000人とも言われる雇用効果を生み、米軍返還地の商業開発の代表例として知られます。


その後、沖縄市のコザ地区を訪問しました。まず沖縄市戦後文化資料展示室「ヒストリート」を見学し、その後嘉手納基地のゲートに向かい、通りの両側に米軍関係者向けのお店が並ぶ「ゲート通り」を歩き、基地との境界線まで行きました。


1日目、2日目とも那覇市国際通りの沖縄料理のお店で夕食を食べ、沖縄の食文化の独自性にもふれました。

■第3日:那覇市内自由行動
3日目は那覇市内で自由行動としましたが、学生は首里城を訪問し、琉球王国の歴史を学びました。

3日間に沖縄でさまざまなところを訪問する中で、琉球王国時代からの沖縄の歴史、沖縄戦、現在も続く基地問題について学びながら、「平和」について幅広く考える機会になったと思います。

■沖縄研修を振り返って
参加した学生たちは、琉球王国の歴史や日本への併合の経緯、沖縄戦における一般市民の犠牲者の多さなど今まであまり知ることのなかったことを知り、現場を訪問して米軍基地の社会への影響について認識を深めたようです。今回の研修は2泊3日という限られた日程でした。チビチリガマ(読谷村(よみたにそん):米軍上陸時に住民がガマ=自然洞窟の中で集団自決した場所)や辺野古などほかに日程に組み入れたかった場所もありました。今回参加した学生スタッフの皆様には、これからも各自で沖縄に行く機会をつくって、今回訪問できなかった場所にも行っていただきたいと思います。