Ferrisで学ぶ

たとえば、テレビを見るように――

文学部 英語英米文学科
冨樫 剛教授

01

毎日・毎週ではなくとも、平日の夜や休日を次のように過ごす人は多いと思います。

1.本、雑誌、マンガを読む。
2.テレビを見る。
3.映画を見る(DVDなどで)。
4.音楽を聞く(CDなどで)。
5.インターネットで文章を読んだり、絵・写真・動画などを見たりする。

これらは今の私たちの生活ではまったくありふれたことですが、もちろん以前の社会では違いました(1以外)。

DVDが広まってきたのは10年ほど前から、インターネットは20年ほど前、1990年代半ばからです(この文章は2014年執筆)。CDが普及しはじめたのは30年ほど前の1980年代半ばからでした。テレビがカラーになったのは1960年代後半です。1971年生まれの私が(確か)3歳くらいの頃、家 には白黒テレビが一台と、後から買ったカラー・テレビが一台ありました。テレビ(白黒)が普及しはじめたのは1950年代、映画の発明は1890年代との ことです。

つまり、音楽や映像に囲まれた今の私たちのくらしのありかた、日々の楽しみかたは、長い歴史を見ればごく最近あらわれ、そしていずれ変化していくものにすぎない、ということです。

国際化した今、日本における「あたりまえ」は他の国では違う、逆もまたそう、ということがしばしば意識されます。時間の軸についても、私たちは同じ意識をもつべきでしょう。今の社会の「あたりまえ」は過去にはそうではなかったし、時がたてば「あたりまえ」ではなくなる、というように。そんな意識から、過去についての調査研究や、未来のための思考がはじまるのだと思います。過去から何を学び、未来に何を残すか、ということです。

02

テレビや映画、各種ディスクやPCなどがなかった頃、何が日々の楽しみだったのでしょうか。もちろん、上の1のもの、各種の出版物です。ここでは、雑誌やマンガではない、いわゆる「本」について、特に、私の専門であるイギリスの詩や歌の本について考えます。本は雑誌や新聞のない時代からありましたし、また、詩は劇の刊行本や小説のない時代からありました。ちなみに、イギリスに小説があらわれたのは18世紀です。

今の日本において、詩には特殊なイメージがあります。私の友人曰く、詩とは「赤い薔薇の小枝をくわえた美少年が、もの思いに耽りつつ書くもの」。また、ある学生曰く、「自分に酔った人がわけのわからないことを書いたもの」。……違います。声を大にして言いたいのですが、詩とは、そういうもの(だけ)ではありません。

考えてみてください。テレビドラマやアニメで、マンガや小説や映画で、今の私たちは実にさまざまな物語を楽しんでいます。恋愛、スポーツ、学校、家庭、刑事、ロボット、アイドル、戦隊、宇宙、歴史、未来、亡霊、エイリアン……いろいろなものが主題となっています。また、テレビだけを見ても、そこにあるのは物語だけではありません。クイズ、お笑い、ドキュメンタリー、ニュース、芸術、料理、健康、教育など、番組の内容は実にさまざまです。

そんな多種多様な楽しみは今の時代だけのもの、と考えるのは現代人の無知・傲慢です。かつてのイギリスにもいろいろな楽しみがありました。どこに?……詩のなかに、です。

詩には冒険があります――たとえば、エドマンド・スペンサーの『妖精の女王』に。シェイクスピアの『リチャード三世』など、時代劇もあります(昔の劇の多くは詩で書かれています)。人生論もあります――アレグザンダー・ポウプの『人間論』やジョン・キーツのオードです。社会批評・評論的なものもあります――ベン・ジョンソンの『エピグラム集』、ジョン・ドライデンの『アブサロムとアキトフェル』、ジョージ・クラッブの『村』、ウィリアム・ブレイクの『無垢と経験の歌』、ウィリアム・ワーズワースとサミュエル・T・コールリッジの『抒情歌謡集』、ウィルフレッド・オーウェンの戦争詩などを見てみてください。

家庭のドラマは?――シェイクスピアの『リア王』がいい例です。サスペンス?――パーシー・B・シェリーの『チェンチ家』、ロバート・ブラウニングの「ポーフィリアの恋人」などいかがでしょう。恋の歌や物語は星の数ほどあるので省きますが、一言だけ――悪い男・ダメな男が好きならバイロンやアーネスト・ダウソンがおすすめです。悪くてかっこいい男といえば、ミルトンの『失楽園』のサタンもはずせません。少女マンガが好きな人は、アルフレッド・テニソンやダンテ・G・ロセッティも気に入るはずです。

「ツイッター」など各種SNS――いつまで続くことやら――のつぶやきや、ブログ日記のような詩もあります。女性のつぶやき?――クリスティーナ・ロセッティやアメリカのエミリー・ディッキンソンを読んでみてください。おじさんのつぶやきも聞きたいですか?変わってますね……ノーベル賞詩人イェイツの短い詩をどうぞ。

つまり詩とは、日々のくらしに刺激と楽しみを与えるメディアのようなもので、特殊な人がもの好きな人に向けて書いた不思議なものなどではけっしてないのです。ふつうの人がふつうに、好みにあわせて、また気分にあわせて、楽しめるのが詩です。今の社会でいえば、いろいろな番組を放送しているテレビや、情報にあふれているインターネットのようなものなのです。

でも、英語で書かれているのでイギリスの詩はやっぱり難しい?そう感じてしまう人は、私の授業に来てください。大学はそのためにあるのです。

(フェリスの学生でない方は、こちらへどうぞ――http://blog.goo.ne.jp/gtgsh)。

~TEA BREAK~
文学と経済?

文学なんて何の役に立つの?……としばしば問われます。社会的・経済的に、ということでしょう。そんなこと言ってるとろくな大人にならないよ、とふだんは適当に流すのですが、ここではちょっと真剣に考えてみます。

* * *

「文学」というと無駄に気高く、現実離れしているように聞こえるからいけないのですが、結局それは言葉を使った娯楽、楽しみです。一見楽しくなさそうですが、それでもたとえば過去のイギリス文学は、今でも日本に受け継がれ、楽しいものとして広まっています。思いもよらぬ例として、今(2014年3月現在)日曜7:30-8:00に放映されている『烈車戦隊トッキュウジャー』を見てみてください。「イマジネーション」がヒーローの強さの源であるこの物語の背景のどこかには、ブレイク、キーツらイギリス・ロマン派詩人たちの「想像力」礼賛があるはずです。

このように現代の作品は、さまざまな過去の作品(イギリス以外のものも当然含む)から無数・無限の影響を受けてつくられています。ゼロから作品をつくることはできません。

さて、今の時代、テレビはよくも悪くも経済的に重要ですから、テレビ番組の内容に影響を与える過去の文学も当然経済に関与していることになります。ドラマを例に考えてみます。

1.
テレビドラマの制作費用はスポンサーがまかない、かわりに番組中・前後にCMを流す。このCMを見て人は商品を知り、話題にしたり買ったりする。この経済のシナリオの核、そもそもそれを可能とするのが魅力あるドラマの存在であり、その制作には過去の文学が(おそらくどこかで)関与している。

2.
CMで紹介される商品を人が話題にする、あるいは買うのは、CMに出ている人が魅力的だから、ということでにあったりする。また、その人の魅力の理由は、魅力あるドラマに出演しているから・したから、ということであったりする。つまり、この消費のシナリオも往々にして魅力あるドラマの存在ゆえに可能なのであり、その制作に(おそらくどこかで)関与している過去の文学は、やはり重要である。

例をあげればきりがないのでやめますが、ドラマやアニメ、マンガや小説、映画や音楽など、魅力ある楽しい作品が今の経済活動に重要なかたちで関与している以上、それらの作品に影響を与えている過去の文学も経済的に重要なはず、「役に立っている」はずなのです。

いえ、それだけではありません。そもそも社会的・経済的に「役に立つ」以前に、楽しい、あるいは、現代における楽しい作品の創作に(おそらくどこかで)貢献している、という点だけで、文学には十分価値があるはずです。人・社会の幸せには、経済的安定と同時に心の満足・充足が必要ですから。

* * *

文学なんて何の役に立つの?と問われた時には、以上のようなことを語りたい衝動に駆られるわけですが、理屈っぽいおじさんって楽しくないよね、と自重して、こう言って流すのです――そんなこと言ってるとろくな大人にならないよ。