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源氏物語を読み解く

文学部 日本語日本文学科
竹内 正彦教授

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源氏物語の魅力の源泉

源氏物語が書かれてからおよそ千年。その間、それぞれの時代において、さまざまな人びとがこの物語を読み継いできました。移ろいゆく時代の流れのなかで、この物語は魅力あるものとして人びとの心をとらえ続けてきたのであり、それは現在も変わることがありません。源氏物語は、千年の時を隔ててもなお尽きることのない魅力を湛える文学作品なのでした。

現在、源氏物語の概説書や現代語訳、マンガやアニメ、映画などが次々と世に送り出されており、古文に馴染みが薄くても比較的容易に源氏物語の世界を知ることができるようになりました。けれども、千年もの間読み継がれてきた源氏物語の世界にみずから分け入り、その世界にじっくりとその身を浸そうとするならば、やはり本文(原文)を読み解いていくほかはありません。もちろん、紫式部が書いた源氏物語が残されていないかぎり、他の誰かの手を経て伝わってきた源氏物語を読むしかなく、そもそも何をもって源氏物語の本文と考えるかという問題も生じてきます。しかし、それでもやはり、本文を読み解いてはじめて源氏物語の魅力の源泉にふれることができるのだと思います。

源氏物語「桐壺」巻の断簡(架蔵)

源氏物語「桐壺」巻の断簡(架蔵)

02

ことばによって構築される世界

源氏物語の世界は、いうまでもなく、ことばによって構築されるものです。たとえば、源氏物語の「葵」巻の冒頭。そこでは、譲位後、肩を寄せ合うように幸せに過ごす桐壺院と藤壺とを、弘徽殿大后が「心やまし」という気持ちを抱いて見つめていたことが語られています。桐壺院は、あまり身分の高くはない更衣を溺愛することによって周囲の人びとの反感や嫉妬を呼び起こし、その愛する更衣を死に追いやってしまった辛い過去を背負っています。彼はたったひとりの女性を愛そうとし、そのためにそのたったひとりの最愛の女性を失ってしまったのでした。光源氏という源氏物語の主人公は、この桐壺院と更衣との子どもとして、いわばふたりの愛のかたみとしてこの物語に生きはじめることになるのですが、更衣を失った桐壺院はその面影を忘れがたく、やがて亡き更衣に似る藤壺を後宮に迎えることになります。桐壺院はこの藤壺を深く愛しますが、帝であるかぎり愛情のままにふるまうことはできません。愛すべき人を思うように愛することができなかった桐壺院がようやくその想いをかなえることができるのが、先ほど掲げた「葵」巻の冒頭の場面なのでした。

03

心の深淵を照らすために

さて、その「葵」巻の冒頭では、幸せに包まれるふたりに対する弘徽殿大后が「心やまし」ということばによって表現されていました。弘徽殿大后は光源氏の母更衣を死に追い込んだその勢力の中心にいた人物です。この人物が抱く「心やまし」とはどのような心象を示しているのでしょうか。現代に生きる私たちにはなじみのないこの古語を、現代語訳は「面白からず」「快からず」などといったことばに言い換えることによって筆を進めていきます。けれども、「心やまし」ということばは、そうとしかいえないものとして表現されているはずです。このときの弘徽殿大后の心象を生き生きとしたものとして受けとるためには、この「心やまし」がもっている語感をとらえなければなりません。源氏物語には「心やまし」ということばは何例用いられているのか、どのような状況でどのような人物が「心やまし」という感情を抱いているのか、源氏物語前後の文学作品ではどうか、これまでの注釈書における解釈や先行研究においてはどのように考えられているのか等々の調査を経て、「心病む」などとの関わりも含めたこのことばの広がりを感知することによって、私たちはようやくこのときの弘徽殿大后の心の深淵を照らすことができてくるのです。

04

迂路のはてに顕ち現れるもの

源氏物語の本文を読み解くということは容易いことではありません。しかし、物語はけっして私たちを拒んではいません。その物語を生み出した時代のなかで物語世界を考えてみようとすること、できるかぎり読者の側から進んで物語に近づいていこうとすることが大切であると考えます。そうした迂路のはてに源氏物語ははじめて生き生きとした姿をもって顕現することになるのです。

本文を読み解く――。源氏物語を読み継いできた先人たちの踏み跡に導かれながら、いっしょにこの迂路をたどってみませんか。