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日本経済の歴史:「『三丁目の夕日』が描く高度経済成長」

国際交流学部 国際交流学科
齊藤 直教授

「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画をご存知でしょうか。1950年代後半の東京下町を舞台としたドラマで、青森県から集団就職で上京した星野六子(むつこ)という少女(作中では「ろくちゃん」と呼ばれていましたね)が、就職先の鈴木オート(自動車修理業)や近所の人々と交流しながら成長していく様子が描かれています。

中卒の若者が就職し、しかも地元を離れての就職で、さらには住み込みで働くといった光景に驚く人も多いでしょう。大げさな作り話だと感じる人もいるかもしれません。映画ですので誇張された表現はあるのですが、しかし、かなりの部分、この映画は当時の社会をうまく描写できているように思います。

この作品の大きな設定になっているのが、集団就職という就職の形式です。集団就職というのは、主に農村地域の中学校の新卒者が集団で都市部に就職することで、1950年代後半~60年代前半にさかんに行われました。首都圏でいえば東北地方からの集団就職が多く、東北本線の臨時夜行列車が多くの若者を故郷から上野駅へと運びました。六子の場合もこのパターンにあてはまります。

映画の舞台になったエリアから見た現在の 東京タワー。高いビルに囲まれて上部しか 見えない。年季の入った住宅が当時の面影 をしのばせる。

映画の舞台になったエリアから見た現在の
東京タワー。高いビルに囲まれて上部しか
見えない。年季の入った住宅が当時の面影
をしのばせる。

では、なぜこのような就職方法が一般的だったのでしょうか。経済学的には農業の労働生産性が上昇し、農村が過剰人口(農業の従事者はあまり多くは必要ないという状況)であったことが重要でしょう。兄弟姉妹はたくさんいても農家を継ぐのは1人(たいていは長男)で十分、という状況です。そういえば、「六子」という名前からは、兄弟姉妹がたくさんいるなかの1人というイメージを受けますね。

映画のなかでは六子が帰省したがらない様子が描かれていますが、なぜそのような描写がなされるかといえば、集団就職で故郷を離れた若者に「自分はいらない子なのだ」という思いを抱かせる面があるからです。母親の「口減らし」という表現が六子の心に深く刻まれているかのような描写はそれに対応しています。

高度経済成長期(1950年代半ば~70年代初頭)には、集団就職による新卒者の移動を含め、多くの人が地方から都市へと移動しました。そして、それは日本の社会に非常に大きな変化をもたらしました。

六子は鈴木オートに住み込みで働くことになったわけですが、集団就職で上京した若者のなかには、アパートや会社の社員寮で新生活を始めた人もいたはずです。後にさまざまな事情から地元に戻った若者もいたでしょうが、就職先の都市に残った若者は独立した生計を営み、何年か経過すれば家族を持つことになります(当時は20代前半で結婚する人も珍しくありませんでした)。

このようにして、たくさんの兄弟姉妹がいて3世代同居も当たり前という大家族生活から、都市での独立した生活への移行という変化が進みました。核家族化が進んだということもできます。日本では1950年から75年までの25年間で世帯数がなんと約2倍に増加していますが、ここにも集団就職がかかわっているわけですね。

世帯数が増えれば、「一家に一台」というタイプの商品の市場が拡大します。1950~60年代にテレビ、洗濯機、冷蔵庫、自動車などの耐久消費財が普及したことは高校の日本史でも出てきますが、こうした商品の生産の伸びとともに、日本経済も成長していきます。また、これらの商品を生産したメーカーの多くは、世界的な大企業へと躍進していきました。

このように経済は社会のなかのさまざまな現象に関係しています。経済を勉強することで、私たちが生活するこの社会をより深く理解することができるようになるのではないでしょうか。