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持続可能な社会づくりに向けて-環境問題の社会的側面と教育の関係

国際交流学部 国際交流学科
高雄 綾子准教授

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環境問題を社会的な側面から見る意味

現在の環境問題が語られる場面では、地球温暖化、資源やエネルギーの枯渇、絶滅危惧種の増加や生態系破壊にいたるまで、非常にたくさんの数字やデータ、いわば技術的な側面が重視されます。でもその数字やデータに表されるような状況を生み出した、人間の生活スタイルや経済活動、政治体制といた、社会的な側面については、あまり目が向けられることがありません。まるで環境というものが人間とは全く別個に存在し、その破壊現象も分析対象としてのみ取り上げられているかのようです。

一例を挙げてみましょう。日本では現在、レジ袋の有料化やエコバック促進の動きにみられるように、「ビニール袋」が環境に悪いものとして取り上げられています。確かに、ビニールは製造過程で石油という貴重なエネルギー源を消費し、さらに二酸化炭素を排出します。使用後は生ゴミか汚物を入れるかして、いずれにせよ廃棄して燃やされる運命にあります。こういう資源の無駄遣いをやめ、エコバックを持つという発想が、環境に優しいものであることは疑いようがありません。

でも、エネルギー消費と二酸化炭素排出量の問題だけに着目していると、データの変動だけが「環境に優しい」を図る尺度になってしまい、仮にビニール袋が全廃されたとしても、第二、第三の悪者(ペットボトルや割り箸など)への対応にあくせくし続けるだけです。私たちの消費者としての関心は、より安いもの、より便利なもの、より快適なものへと向けられがちです。それにあわせて、商品の流通やマーケティングはどんどんシステム化され、その間にあるものの「意味」はないがしろにされていきます。なぜビニール袋がこれだけ普及したのか、なぜ全廃が困難なのか、なぜスーパーや商店は無料で配布できるのか、など、私たちの生活にあるビニール袋の意味を問い続けることによって、この「悪者」の存在を許し続ける社会の仕組みや構造を明らかにしていく作業が必要だといえるでしょう。

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「持続可能な発展」コンセプト

現在の大量消費・大量廃棄型の社会は、天然資源埋蔵量の枯渇という視点だけでなく、市場主義経済のゆがみのグローバル化という視点からみても、近い将来必ず立ちゆかなくなります。より安く、より便利で、より快適な生活の実現には、その商品やサービスを提供する人や地域が必ず必要ですが、今現在、これらは発展途上国に集中し、先進国だけが恩恵を享受しているという不平等な構造になっています。「エコロジカル・フットプリント」という概念によると、世界中の人々が日本と同様の生活レベルを続けて行くためには、地球が2.4個必要といわれていますが、今後さらに、途上国の民主化や教育機会の拡大が進行し、先進国と同様の快適な生活レベルを求める意識が地球規模で拡大すれば、もっと多く必要になるでしょう。途上国の発展は当然の権利であり必ず実現されるべきものですから、問題は大量生産・大量廃棄型の社会の方にあることになります。つまりこれはデッド・ラインが決まっている滅びゆく社会であり、それに代わる新たな社会のあり方を提示しなければ、私たちは地球に住み続けることができなくなってしまうのです。

この新たな社会のあり方として、1990年代より国連を中心に国際社会で新たに打ち出されたコンセプトが「持続可能な発展(Sustainable Development)」というものです。経済・環境・社会の3者をバランス良く発展させることで、現代の先進国と途上国の不平等な構造を是正し(世代内公平)、また後世に今と同じ発展の可能性を残す(世代間公平)という、2つの公平を実現させようというコンセプトです。1992年のリオデジャネイロ・サミット(環境と開発のための国際会議)で提起されて以来、環境問題は開発問題、つまり社会や経済のあり方と深く関わって議論されるようになってきました。例えば、先進国で好んで食べられているチョコレートを作るために、原産地である途上国では、自国の食料をまかなう農業よりも大量の換金作物(カカオ)を栽培するモノカルチャー農業が優先され、子どもをはじめたくさんの人たちがその労働にかり出されています。換金作物依存型の農業収入は商社や多国籍企業の仲介によって目減りし、経済的な自立を困難にしています。原産地なのにチョコレートなど一口も食べたことのない人がたくさんいるのです。これは、モノカルチャー農業が生態系に与える環境問題とならび、グローバル化した貿易・経済による南北不均衡問題や、子ども・労働者の権利の軽視の問題など、より複雑な問題群として捉えられるようになりました。そしてその解決のためには、農業政策の見直しやフェアトレード(公平貿易)の実施、途上国での基礎教育の普及など多方面にわたります。つまり、解決策は一つではなく、問題に多面的にアプローチする姿勢が不可欠なのです。

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未来をつくる教育と学習する社会

もう少しチョコレートの例をみていくと、チョコレートの今のような大量生産は大量消費を前提として行われています。そうであればこの解決には当然、生産者である途上国側だけでなく、消費者である先進国へのアプローチも必要です。私たちがチョコレートという商品の由来や製造の過程、流通の構造について正しく知り、その中にある現代社会の不公平を見つけることが、この問題の根本的な解決に欠かせません。このような、環境問題の数字やデータなどの技術的な側面を、社会的・経済的な側面に位置づける能力が、今特に先進国の人々に求められています。そして、所与の問題を解決するだけでなく、これから発生する問題の芽を見つけ、それを回避し、新たな未来社会のシナリオを描く能力も、グローバル化によって問題が複雑化・広域化する現在、ますます重要性を増しています。これらの能力をはぐくむことは、未来をつくる教育といえるでしょう。これは多様な教材、場面、手法を必要とするため、従来の学校制度の中だけでは捉えきれません。例えば、ドイツのある小学校では、地域の環境教育施設と連携して丸一日を使ったプロジェクト学習を実施、チョコレートの製造過程をビデオで学んだり、カカオの生産国と消費国を赤と青に塗り分けるワークショップできれいに南北に分かれる様子を体験したりしています。また、日本でも、NPOと公立学校教職員とが協働して、「チョコレートクイズ」などの教材を共同開発しました。

このように、学校制度だけが担ってきた教育というジャンルを、NPOや地域施設などの社会一般に広く開放し、社会全体で学んでいく「学習する社会」の実現が必要となってくるのです。このような教育は持続可能な発展の重要な条件となることから、「持続可能な発展のための教育(Education for Sustainable Development:ESD)」と呼ばれています。

リオデジャネイロ・サミットから10年後の2002年、NGOからの提言を受け、日本政府がヨハネスブルク・サミット(持続可能な発展に関する世界首脳会議)の場で提案した「持続可能な発展のための教育の10年(UN Decade of Education for Sustainable Development)」が採択されました。2005年から始まったこのプロジェクトは、2009年を折り返し地点とし2014年まで国連加盟各国で取り組まれ、4月には世界の有益な取り組みを共有するための国際会議がドイツのボンで開かれます。ビニール袋やチョコレートに象徴されるような、現代社会に広く浸透している大量消費に代わる持続可能な社会とはどのようなものか。この、今まで想像したこともないような新たな未来をつくるためのヒントを、ESDが示してくれるかもしれません。


■参考文献■
ニッキー・チェンバース他著、五頭美知訳『エコロジカル・フットプリントの活用
──地球1コ分の暮らしへ』合同出版、2005年
朝岡幸彦編著『新しい環境教育の実践』高文堂出版社、2005年
NPO法人「持続可能な開発のための教育の10年推進会議(ESD-J)」ウェブサイト:http://www.esd-j.org/
財団法人「アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)」ウェブサイト:http://www.hurights.or.jp/index_j.html