Ferris Alumni Gallery#29
違和感をそのままにしない
後に続く「誰か」のために
鈴木 ちひろ
国分寺市議会議員
文学部 日本語日本文学科 2018年卒業
Category
文化表現学科/その他
2026/07/23
地域の声に耳を傾けて
国分寺市議会議員として活動しています。年に4回ある議会(各約1ヶ月)で市の政策を提案したり、議案をチェックしたりするのが公務です。議会のない期間は、市民向けの報告会を開いたり、ニュースレターを自分で作って市内にポスティングしたり、駅前に立ってチラシを配ったり、街頭でのPR活動を行ったりと、市民のみなさんと直接つながる活動をしています。また、さまざまなイベントやインタビュー、講演のご依頼にもできる限り応じ、幅広い対話の場を持つように心がけています。
私自身もそうでしたが、「議員」という存在は、どこか遠く感じられるかもしれません。だからこそ私は、できるだけ身近な「市民の代弁者」でありたいと考え、日々の活動に取り組んでいます。
あわせて、自分の経験も踏まえながら、20〜30代の若い世代や女性、性的マイノリティの方々の声にも耳を傾けながら活動しています。

日本語教師から議員になるまで
私は高校生の頃から、日本語教師になりたいと考えていました。「海外で働きたい」「日本を飛び出してみたい」という思いがあり、自分のスキルを生かしながら海外で仕事ができる職業として日本語教師を目指すようになりました。フェリス女学院大学を選んだのも、日本語教育を専門的に学べる環境があったことが大きな理由です。
在学中から都内 の日本語学校でインターンとして働き始めました。学習者がなぜ日本語を学ばなければならないのか、その背景にある格差や貧困、国際的な構造の問題を、現場で具体的に知るようになりました。学生たちが授業に遅れてきた理由を聞くと、「レイシャルプロファイリング」による職務質問で長時間足止めされていたことが分かったり、入管(出入国在留管理庁)で学生たちが差別的な扱いを受けている場面に何度も直面したりして、大きなショックを受けました。
目の前の学生を支えることの大切さを感じる一方で、「個人を支えるだけでは足りない。制度そのものを変えていかなければ」と強く感じるようになり、この思いが少しずつ、政治への関心につながっていきました。
「あなた、絶対議員に向いている」と言われて
都内の日本語学校で数年働いたのち、学生ともっとじっくり向き合いたいと思い、奄美大島の日本語学校へ転職しました。しかし、すぐにコロナ禍になり、1年ほどで学校が閉校となって、突然職を失いました。仕事を失った半年間、奄美で過ごしながらPARC自由学校のオンライン講座などをたくさん受けました。それまで気になりつつも、勉強を後回しにしてきた気候変動問題や人権問題について学んでいくうちに、これまで仕事で感じてきたモヤモヤが少しずつほどけていく感覚がありました。
その後、栃木の那須塩原にあるアジア学院で1年間、有機農業のボランティアをしました。アジア学院は、世界各地から集まった人たちと共同生活を送りながら農業をして、平和について学び合うコミュニティです。転機になったのは、元川崎市会議員の女性との出会いです。その方と親交を深めていく中で、「あなたは絶対議員になった方がいい」と言ってもらえました。人生の分岐点に立っていたとき、「社会問題を抱えたまま、この先も生きていけるのか」「目をそむけずに向き合ってみようか」と考えるようになりました。
それから、ご縁をたどって国分寺のカフェスローで働きながら暮らし始めました。当時の国分寺市議会には、20代から40代の女性議員が一人もいませんでした。自分が投票したいと思える人がいない、という気持ちもずっとありました。だからといって誰かが変えてくれるのを待つよりも、自分がやるしかないかもしれない――立候補を決意したのは、周りのサポートと、そうした気持ちが重なった結果です。

母として、議員として
私は少し前に、国分寺市議会で任期中に妊娠・出産を経験しました。妊娠・出産、産前産後のケア、そして待機児童の問題――これらは今もなお、女性が一人で担うことになりがちなテーマであり、キャリアの断絶につながりかねません。だからこそ、実際に妊娠・出産・子育てを経験している議員として、産前産後の課題や保育の問題について、議会で政策提案を続けています。
「議会」という場所は、小さなことですら変えるのが大変で、正直なところ、まだ「十分な答弁が得られた」と言える状況ではありません。それでも、市内のお母さんたちから「言いたかったことを全部言ってくれて、うれしかった」と声をかけてもらうことがあります。そのたびに、議会にこうした視点が存在することの意味を実感しています。
議員活動と子育ての両立は、今も試行錯誤の最中です。私自身、初めての育児の中でSNSの情報に振り回されたり、「夜通し寝る子もいるのに」と他の子と比べて落ち込んだりする、ごく普通の親です。「うまくできている」と胸を張れるわけではありません。けれど、この試行錯誤そのものが、新しい提案につながることもあると思っています。少しずつではありますが、それがジェンダー平等への一歩になると、私は考えています。
高校生・在学生へのメッセージをお願いします
もし自分の生きづらさや将来への不安を感じているとしたら、あなただけの問題ではないかもしれません。私はフェリスで学ぶ中で、「これは社会の構造の問題だ」と気づくことができました。言葉にならなかったモヤモヤに名前がつくと、少し楽になれます。それだけで、次の一歩が変わります。
在学生のみなさんには、ジェンダーや国際問題など、「なんとなくモヤモヤする」テーマから目をそらさずに、授業や友人との対話を通して問い続けてほしいと思っています。違和感をそのままにしないで、後に続く「誰か」のために、小さな一歩を踏み出す人が増えていくといいな、と思います。
※所属・仕事内容は取材当時のものです。
My Career
- 01学生時代(2014年~2018年)
日本語日本文学科で教師を目指しながら、ジェンダーや国際問題を扱う授業を通じて、今まで感じていた生きづらさに「言葉」が生まれた4年間。
- 022020~2021年
栃木県那須塩原市の「アジア学院」で1年間、有機農業のボランティアとして活動。そこで出会った元川崎市会議員の女性に「あなたは絶対に議員になった方がいい」と励まされ、社会課題から目をそらさず向き合っていこうと決意する転機となる。
- 032023年~現在
2023年4月23日の国分寺市議会議員選挙で、初当選。市議会議員のキャリアをスタートさせる。子育てに奮闘しながら、誰もが安心して暮らせる、緑豊かでスローなまちをめざして日々活動中。
- 04今後の目標
議員活動と子育ての両立を実践しながら、若い女性にとって「議員」が選択肢のひとつになる社会をつくること。頑張りすぎないモデルを、自分自身で示していきたい。
現在に生きる
フェリスの学び
- 学生時代の経験
- ジェンダーや国際問題について学ぶなかで、子どものころから漠然と抱いてきた「生きづらさ」の正体が、少しずつ輪郭をもって見えてきました。自分の経験を社会の構造と結びつけて捉え直すことで、「個人の問題」だと思っていたことが、実は社会のあり方と深くつながっているのだと気づくようになりました。
- 身についた力
- フェリスでは、女性たちが男性の目を気にすることなく、のびのびと学びを深めていると感じます。ひとからどう思われるかではなく、自分がどうしたいかを突き詰めて学ぶ力を養えました。
- 仕事で活きた場面
- フェリスの「For Others」の教育理念からは、自分だけではなく社会やひとのために行動することの大切さを学びました。まさに、いま、政治にいちばん求められていることだと思います。また、議会では、幅広い分野の知識が必要ですが、フェリスで新しいことを学ぶことの豊かさや楽しさを教わったことが、仕事に活きていると思います。
※所属・仕事内容は取材当時のものです。
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