Ferris Alumni Gallery#31
日韓の若者が出会い「また会いたい」と思える場を支える
新田 めぐみ
公益財団法人 日韓文化交流基金
国際交流学部 国際交流学科 2011年卒業
Category
国際社会学科/事務職
2026/09/14
現在のお仕事について教えてください
公益財団法人日韓文化交流基金で、日本と韓国の青少年交流を中心とした事業に携わっています。
主な業務は、韓国の大学生・高校生・若手教員を日本へ招く訪日プログラムの受け入れと日本の大学生・高校生・若手教員を韓国へ送り出す訪韓プログラムの企画・運営です。参加者が訪問先で現地の人と交流できるよう、プログラムにはホームステイや大学訪問などの機会も設けています。
また、訪日団ごとにテーマも設定しています。たとえば、フェリスを訪問した韓国の団では、「東日本大震災から15年」を軸に東北地方を巡り、震災や防災について学び、考える機会を設けました。
団ごとに扱うテーマは異なりますが、共通しているのは、日本と韓国に共通する社会課題に目を向け、両国で協力できることを考えるという視点です。少子高齢化や災害など、共に向き合うべきテーマを多く取り上げています。
日韓文化交流基金は、青少年交流のほかにも、日韓相互理解の促進を目的に、研究者向けのフェローシップや、地域の草の根交流を支える助成事業なども展開しています。
交流を心から楽しむ姿を見るのが、この仕事の醍醐味
一人ひとりの関係は小さなものに見えても、その国に対するイメージは、そこに暮らす人々との出会いや、積み重ねられた関係性から形づくられていきます。学生同士が交流し、互いの言語や文化にふれ、「また会いたい」と思い合える関係が育っていくことに、この仕事の意味を感じています。
どれだけプログラムを工夫しても、参加者の印象に最も残るのは、学校訪問とホームステイであることが多いです。そのため、できるだけ十分な交流時間を確保し、可能であれば地方の学校とも交流できるように意識しています。
母校であるフェリスを訪問する団も、これまでに何度か担当しました。社会人になってからも大学と関わり続け、企画する側として母校に戻ることは、とてもありがたいことだと思っています。

学生時代、まさか自分が海外に行くとは思ってもいませんでした
入学のきっかけは、日本・中国・韓国の近現代史に関心をもち、より深く学びたいと考えたことです。そうした学びを実現できる環境に魅力を感じ、フェリスに入学しました。
入学後は、2か国語コースを選択しました。高校時代から学んでいた中国語を大学でも続けようと考えていましたが、思うように力を伸ばすことができず、英語にも苦手意識がありました。結果として残ったのが韓国語です。
最初のうちは、必修が終わる2年生の後期まで乗り切ればいい、という程度の気持ちでしが、2年生前期の終わり頃、自分のあまりの出来なさのために先生にあてられた際にうまく答えることができなかったという出来事がありました。その悔しさが「本気で勉強しよう」と思うきっかけになりました。
通学時間は往復4時間。その時間を活用して単語を覚え、先生からどのような質問をされても答えられるよう、集中的に学習に取り組みました。自分でも少し極端な性格だと思います(笑)。ちょうどK-POPが日本でも広がり始めていた時期で、「歌詞を覚えれば韓国語も上達するかもしれない」と思い、聴き始めたことも学習の後押しになりました。そこから韓国ドラマにも関心が広がり、韓国語により興味を持つようになりました。
韓国語や韓国文化に触れるなかで、「韓国に行ってみたい」「もっと話せるようになりたい」と思うように。ただ、気づいたときには交換留学の募集が終わっていました。そこで2年次の夏休み、自ら1か月間の短期留学を申し込みました。
私の家族は飛行機に乗る機会がなく、私自身も大学に入学するまで海外へ行ったことがありませんでした。周囲の友人が留学を考えている様子を見ては、「すごいな」と感じていたほどです。
20歳で迎えた初めての海外渡航先が、韓国でした。パスポートの取得方法すら分からず、一つひとつ調べながら準備を進めました。1か月間の留学を終える頃には、「もっと学びたい」という思いが、以前にも増して強くなっていました。
その後は、フェリスのボランティアセンターが主催する日韓協働プロジェクトにも参加しました。韓国の韓神大学の学生とともに歴史を学ぶ3泊4日のプログラムで、現地で出会った友人の存在も、再び留学したいという思いを大きく後押ししてくれました。

たまたまの巡り合わせが、今につながっている
翌年の3月からは、ソウルの大学へ認定留学しました。当初は半年間の予定でしたが、「もっと学びたい」という思いが強くなり、休学に切り替えて、結果的に1年間留学することになりました。
認定留学中は語学堂に通っていたため、周囲には留学生が多く、「いつか韓国の大学で、現地の学生と一緒に正規の授業を受けてみたい」という思いが残りました。帰国後、「新羅大学が奨学金付きの留学生募集」をしていることを大学の掲示版をとおして知り、たまたま目にしたその案内に応募したことが、次の留学につながりました。
新羅大学では、韓国人学生に囲まれた環境で学びました。寮では韓国人のルームメイトと二人部屋で生活し、日常的に韓国語や文化に触れる毎日を送りました。歴史や北朝鮮に関する授業のほか、日本語教育学科の授業にも参加し、学びの多い充実した時間を過ごしました。


卒業後の2年間は、韓国とはまったく関係のない分野で事務職に就きました。現在の仕事を始めたのは2014年です。フェリスの先生がFacebookに投稿していた日韓文化交流基金の求人をたまたま見つけ、応募したことがきっかけでした。
実は、学生時代に就職活動を経験していません。3年生と4年生の大半を海外で過ごしていたため、就職活動をどのように進めればよいのかもよく分からず、卒業後には半年ほどの空白期間もありました。
決してまっすぐな道のりではありませんでしたが、たまたま目にした募集や求人、その時々の小さな決断の積み重ねが、今の仕事につながっています。
在学生、高校生へのメッセージをお願いします
若いうちは「失敗したらどうしよう」「友人より一年遅れたらどうしよう」と考えてしまうかもしれません。けれど、今振り返ると、当時の失敗や遠回りは、何でもないことだったと思えます。
社会人になると、海外に行ったり、新しいことに挑戦したりする機会はどうしても限られます。だからこそ、大学の4年間はかけがえのない時間です。
私は1年次の頃、アルバイトばかりしていて、学年末に大きな後悔が残りました。それを機に2年生からは「やりたいことは全部やる」と心に決めました。少しでも気になったことには挑戦するようにした結果、世界が広がり、留学や今の仕事にもつながっていきました。
少しでもやってみたいと思ったなら、まず動いてみること。失敗しても大丈夫です。その一歩が、思いがけない未来につながるかもしれません。
※所属・仕事内容は取材当時のものです。
My Career
- 01学生時代
2か国語コースで残った韓国語を、先生にあてられた際にうまく答えられなかった一件をきっかけに本気で勉強。2年の夏に人生初の海外・1か月の短期留学、3年でソウルの大学へ認定留学、半年では短いと休学に切り替えて留学を続け、一度帰国後に再度プサンの新羅大学で交換留学。
- 022014年~現在
公益財団法人 日韓文化交流基金で日本と韓国の青少年交流を担当。訪日団の企画、大学訪問やホームステイの手配、訪韓団の選抜から引率、まで、現場で学生と関わりながら日韓交流に携わる。
- 03今後の目標
日韓の若者が互いを身近に感じ、学び合える交流の機会を一つひとつ丁寧につくっていきたい。
現在に生きる
フェリスの学び
- 学生時代の経験
- 韓国語を学び始めたことをきっかけに、自ら短期留学を申し込み、その後は認定留学や休学留学にも挑戦。韓国で学びながら、自分の世界を広げていった。
- 身についた力
- もともとは人見知りだったが、一人で海外に飛び出したことで、「何もしなければ何も始まらない」と感じるように。勇気を持って飛び出す行動力が身についた。
- 仕事で活きた場面
- 一人で海外に飛び出し、自ら人とのつながりを広げた経験が、今、学生や関係者とともに国境を越えた交流プログラムをつくる仕事の原点になっています。
※所属・仕事内容は取材当時のものです。
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