Ferris Alumni Gallery#20
「どうやるかを考える」探究心で、ケニアの発展に貢献する開発協力に携わる
石原 彩香
Kenya Development Partners Group事務局
国際交流学部 国際交流学科 2001年卒業
Category
国際社会学科/事務職
2025/07/14
現在のお仕事について教えてください
ケニアのナイロビで、Kenya Development Partners Groupというケニアに対して開発援助を行っている各国及び国際機関の計30ドナーからなるグループの事務局として勤務しています。事務局といっても一人しかおらず、業務は多岐にわたります。ケニアの開発目標達成に向けて必要な支援について、グループ間の情報共有や各種調整、ケニア政府との対話のコーディネートや開発協力調整メカニズムの見直しなどを行っています。
これまでのキャリアを教えてください
開発協力の仕事に興味があったのですが、自国の社会や女性を取り巻く状況について知ったうえで携わらないと行動に説得力がないだろうと考え、大学卒業後は国内の一般企業に就職しました。しかし、海外で働きたいという思いは強く、社会人3年目のときに青年海外協力隊に応募。2年間、アフリカのマラウイで村落開発普及員として活動しました。帰国後2年ほどは元の会社で働いていましたが、30歳になるタイミングで改めて「国際的な開発協力に携わりたい」と思い立ちました。そこでイギリスの大学院で開発協力について学び、修士号を取得。その後は、在ケニア日本国大使館をはじめさまざまな国際機関で経験を積み、現在に至ります。
再び国際協力に携わりたいと思ったのはなぜですか
マラウイで2年間過ごし、自分の中の価値観が変わったのが大きかったです。私が住んでいた町はまさにへき地で、首都から遠く、電気や水道といったインフラが安定しないなかでの生活でした。帰国したときには日本での生活や仕事との間に大きなギャップを感じ、自分はもっと、基本的な社会インフラの向上に繋がるような仕事がしたいと思い、この道を選びました。マラウイでドナーによる開発支援の弊害を自分自身で経験したことも刺激となり、自分なりの視点で開発協力に携わりたいという思いが芽生えました。

大学時代はどのような日々を送られていましたか
興味のある授業が多く、国際協力や開発問題などいろいろなことを学ぶのが楽しかったです。特に、開発問題におけるジェンダーの視点を学んだことで、日本社会における女性の立ち位置を知っておくべきだと考えるようになり、一般企業に就職するきっかけになりました。当時の国際交流学部には、国連で活躍されてきた先生もいらっしゃり、ご自身の経験を聞かせてくださったり、国連大学に連れて行ってくださったりしたことが印象に残っています。臼井久和先生(現名誉教授)のゼミでの学びも印象的です。当時から開発問題に関心があり、幼い時にインドネシアで数年過ごした経験もあり、卒業論文はスハルト政権の「開発独裁」について書きました。また、大学祭実行委員会に所属し、大学に交渉して大学祭を初めて緑園キャンパスで開催したのもよい思い出です。
大学での学びや経験はどのように活きていますか
やるかやらないかではなく、どうやるかを考える。とりあえずやってみて、失敗したらそれを糧にしてそこから学んでいけばいい。そんなスタンスで私は日々仕事に臨んでいます。この根底には、大学生活を通して培った探究心と自分で考えて行動する力があると自負しています。
※所属・仕事内容は取材当時のものです。
My Career
- 01学生時代
国際協力や開発問題について学ぶ。大学祭実行委員会に入り、3年次(1999年)には初めての緑園キャンパス開催実現に尽力。国際交流学会活動や、他大学との合同ゼミにも参加。学業以外では横浜国大のダイビング・サークルに所属。
- 022004年
会社の休職制度を利用し、青年海外協力隊に参加。アフリカはマラウイ北部で村落開発普及員として、農民の現金収入向上のための活動に従事。
- 032019年
在ケニア欧州連合代表部プロジェクトの開発コンサルタント(ケニア開発パートナー・グループ事務局含む)
- 042022年
ケニアに対して開発援助を行っているKenya Development Partnes Group事務局で勤務中
- 05今後の目標
ケニアとミャンマーでの経験を活かし、他の国での開発協力に携わる
現在に生きる
フェリスの学び
- 学生時代の経験
- 高校卒業まではむしろ嫌いだった英語が、フェリスで実践的な授業を受けてから好きになり、苦手意識が消えた。同じ学部で身近な友人がみんな違う言語(私は英語、他の子は中国語、フランス語、ドイツ語等)を学んでいて、他の人と違っていていいんだ、と思えたのはいい経験。
- 身についた力
- 興味のあることに自ら飛び込んで試してみる度胸がついた。失敗しても、それを次に活かせればいい、というポジティブ思考が身についた
- 仕事で活きた場面
- 今は仕事も生活もすべて英語。欧米のドナーやケニア政府の職員など、考え方が異なる人々と協働する中で、「違って当たり前」という学生時代の経験が土台になっています。
※所属・仕事内容は取材当時のものです。
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