パリ国際芸術都市
「パリ国際芸術都市」(Cité Internationale des Arts)は、フランス政府が芸術家に活動・研修滞在施設を提供することを目的として設立した財団により、パリの中心部、セーヌ川沿いに建設された宿泊施設です。1965年から世界各国の芸術家に開放されています。 フェリス女学院では、音楽活動を行う芸術家のためのアトリエ(2室)の使用権を所有しています。学院の教員等が芸術活動を通じて、日仏相互の文化交流に寄与すること、さらに本学の学生、同窓生等が西欧文化の凝縮してあるパリにおいて、専門技芸を一層向上させ、学院の目指す教育効果をより確実なものとすることにより、国際的な人材を育成することを目的としています。

利用方法
利用希望者は、利用者募集要項を確認の上、必要書類を総務課に提出してください。本学音楽学部教授会が候補者を決定し、パリ国際芸術都市理事会に推薦します。
なお、最終的な利用者決定はパリ国際芸術都市理事会が行います。本学からの利用候補者として推薦されても、必ずしも利用決定がされるとは限りません。
2025-2026年度募集は終了しました。
利用者の声
板倉康明さん(元フェリス女学院大学非常勤講師)体験談
滞在期間:2024年9月~2025年8月
研修機関:CNSMDP , Radio France, Philharmonie de Paris BNF
1981年に自身がフランス政府給費留学生としてパリでの勉学を始めたが、その折に父君がフェリスの教員でその関係でこちらに居住して勉強をしている学生がいた。立地も良く、ホールも備えている理想的な勉強の場所と見ていた。現に私がまず卒業したその当時のパリ市立音楽院の卒業試験はまさにここのホールで行われたし、給費留学生としてさまざまな演奏会への出演が義務付けられていたが、このホールで度々演奏した記憶が残っている。
フェリスで教えて、その後他大学での定年を迎えるにあたり、パリで新たにさまざまな勉強をしようと考え、今回の応募及び研修に至った。なぜそう考えたかと言うと、2020年から昨年まではボルドーの大学院で客員教授を務めていた関係で頻繁にパリに滞在していたが、なかなか落ち着いて自分の研究に活かす時間は取れず、現地の友人たちからもこちらに住んだ方が良いとの助言をもらっていた。日本での仕事と家庭の都合で通年過ごすことはできなかったが十分に活用できたと考えている。
研修内容についてはここの立地を活かし、まずCNSMDPまでは一回乗り換えで30分なので、後輩で同校で教鞭をとっている教授たちと連絡を取り、さまざまなクラスでの授業、試験を見学して、現在の母校での教育を目の当たりにした。具体的にはピアノ伴奏科、器楽ではクラリネットのクラス、和声のクラス、現代音楽のクラスとオーケストラのクラスを見学し、卒業試験も聴いた。本来ならば試験官を務めるところだが、そこは固辞して卒業生として後輩の演奏を聴いていた。
合わせてCNSMDPの隣にあるPhilharmoie de Parisはパリ管弦楽団、またEnsemble intercontemporainの本拠地でもあり、そこでのリハーサル見学、また後者の日本ツアーにおけるプログラミングの相談などさまざまな経験をした。特に本年はPierre BOULEZ生誕100年ということもあり、現代音楽の巨匠についての国を挙げての敬意を実感することができた。またMaurice RAVELも150年だったのでそれについても研究が深まった。がPhilharmonieでは不十分なので、BNF(フランス国立図書館)の音楽部門長とコンタクトをとり、彼らの自筆譜からの推敲の痕を見ることにより、作曲の過程が良く理解できたことは言うまでもない。同時に日本での西洋音楽の受容、教育法などについても集団で討論、発表する機会があったことは重要である。
研修機関として挙げたRadio Franceは国営の放送局であり、オーケストラを二つ、合唱団を三つ持っている大きな組織である。パリ国際芸術都市の利点はそこに行く際に目の前のバス停から一本で往復できると言うことだろうか。そこではリハーサルの見学というよりも現代音楽部門長とさまざまな将来の計画について相談したり、さまざまな新作の楽譜を読んだりと有意義な経験だった。当然さまざまな演奏会に顔を出し、旧知の音楽家たちと演奏、作品について終演後討論したりしたのは日本ではなかなか得難い体験だったと言える。
受容としては上記の三つが大きなものであるが、それ以外の音楽活動としては、さまざまな国籍の学生の依頼を受けて試験、コンクール前の準備のためのレッスン、パリ郊外の音楽院での代講、Concert ColonneのエキストラとしてDebussy La merのチェレスタパートの演奏、このオーケストラは当該作品の初演がうまくいかなかったため再演を作曲家自身の指揮で行い、その際に自筆でパート譜に書き込んださまざまな変更が残っていて、もちろんその原本は使用しないが、大変興味深い、現行の出版譜には反映されていない変更があったのは新鮮な発見だった。
私はピアノを借りていなかったが、偶々三月のパリ・ファッションウイークに旧知の日本人作曲家がピアノソロ曲を作曲し、土曜日の本番なのに楽譜が木曜日夜にしか上がらないとのことで、回り回って私のところに話が来て、モデルの行進?に合わせて演奏したのは稀有な体験だった。コムデギャルソンという会社で私は全く知らなかったが有名な会社と後で知り驚いた。これには後日談があり、急遽引き受けたので大変感謝されパリ国際芸術都市に大きな花が届き、受付の方に大変驚かれた。
クラリネットとしてはボルドーのオーケストラに客演しに行き、そのついでにマスタークラスを行ってきたり、パリ・オペラ座の後輩から相談を受けて、マウスピースを選ぶ手伝いをしたり、スイス・ロマンド管弦楽団のクラリネット奏者がオーケストラの楽器を買うので選ぶのを手伝って欲しいと連絡があって楽器会社で選んだり、楽器やマウスピース、リードの開発についてさまざまな助言を与えたりした(それぞれの会社のアーティストとして契約があるため義務でもある)。
地下のホールが工事中だったので、結局実現しなかったが、日本の現代音楽作品を紹介する演奏会を複数回考えていた。ホールさえ機能していればと残念でならない。
研修計画に書いたもう一つの目的、作曲をするということは丁度滞在を始めた時に全音から出版される自作の最終校正のタイミングで夜のセーヌ川の景色を見て思いついた作品のタイトルを改めて噛み締めながらその作業をした。作品として仕上がったのはもう一つ管楽器合奏のための小品、それと結局途中になってしまったものに限られた。当初はIRCAMとコンタクトを取ってそこで研修というか色々な作業を考えていたが、現在フランスの現代音楽界(作曲)がいわゆる知的な音楽と聴衆に働きかけるものと二極化しているとの説明をさまざまな作曲家から受け、現在のIRCAMのスタイルは自分には合わないと周りからの助言もあり、諦めた。私の場合フランスで労働できるヴィザ、滞在許可証を持っての(Passport talent)の滞在だったので、すぐにこれからの利用者と条件が合うとは思えないが、私に割り当てられた8521は右にノートルダム寺院、その奥にエッフェル塔が見えて眼下にはセーヌ川が流れているというまさにパリを象徴する景観のアトリエなので、そこからの眺望を見ながらイル・ド・フランスの特徴のすぐに変わる雲の色と天候を観察すればフランスの作曲家の色彩感は実感できると思う。今年で開館60年のここを皆さんで利用して自分の音楽人生に活用されることを望んで止まない。またこのような機会を与えてくださったフェリスに感謝する。



藤井るかさん(スコラ・カントルム音楽院)体験談
滞在期間:2022年11月~2023年9月
研修機関:スコラ・カントルム音楽院
私は桐朋学園大学大学院修士課程において Claude Achille Debussy (1862~1918) の音楽以外の芸術家との関わりと、彼の作曲への影響について研究し、修士論文『ドビュッシーの音楽以外の芸術作品への関心と自身の作品への影響―《前奏曲集 第1集》、《前奏曲集 第2集》より ―』を執筆しました。
私が留学先をパリに決めた理由は、Debussy が生まれ育ち、活躍したパリに身を置き、フランスの人々の生活、言語、歴史、哲学、政治、宗教、文化、芸術に触れ、肌で感じ、より彼の作品への理解を深めるためです。さらに、ヨーロッパの中心地であるパリを拠点に作曲家と深く関わりのあったヨーロッパ各国を訪れて見識を広め、更なる演奏表現の幅や、技術の向上を図るため、この地に留学をしています。
現在パリに滞在して早くも1年となりますが、これまでたくさんの美術館を訪れ、古代ローマ時代の遺跡から、宗教画、Debussy と深く関わりのあった象徴派の絵画、そして現代アートに至るまで数多くの美術作品を目にし、作曲家の生きた時代や作曲に与えた影響をその作品から感じ取ることができました。写真が存在しない時代の絵画はその時代の事象を残した貴重な存在であり、当時作曲家がどのような環境で生活を送っていたかを想像できます。
また、作曲家の生家やお墓を訪れ、彼らの軌跡を辿り、当時作曲家たちが実際に演奏していた教会や宮殿などの歴史的建造物の内部を見学することは、パリに滞在していなければ体験できず、クラシック音楽を学ぶ私にとって非常に重要な経験です。それにより、曲への理解もより明確になり、私たち演奏家は、作曲家が楽譜に表現しきれなかった、彼らが当時生活の中において五感で感じ得たものを察知し、曲に込めた想いをより具体的に表現することが可能になります。
Cité Internationale des Arts (パリ国際芸術都市)はパリの中心地に位置し、窓からはセーヌ川やエッフェル塔、ノートルダム大聖堂や、Victor Hugo、Marie Curie などパリで活躍した詩人や研究者が眠るパンテオンを眺められ、当時作曲家たちも目にしていただろうこの風景を毎日見られる環境に身を置くことにより触発され、フランス音楽の表現に大いに生かすことができました。また、ここに滞在する音楽家や他の芸術家との意見交換は自身では気づかない部分の発見もあり、よい刺激となりました。学生の身の私にとって留学初期を Cité Internationale des Arts に滞在してフランス芸術を学ぶことができたことは、非常に有意義な留学生活を送ることにつながりました。



フランスは学生に対する支援が手厚いため、25歳以下の学生は美術館などに無償で訪れることができ、さらに世界の第一線で活躍する音楽家の演奏も容易に観に行くことが可能です。Cité Internationale des Arts はコンサートホールやその他芸術文化施設へのアクセスも良いため、 夜の遅い公演にも不安なく勉強しに行くことができました。これまでも Maria João Pires、Sir András Schaff、Khatia Buniatishvili、フジコ・ヘミング、Yuja Wang をはじめ多くの演奏家の生演奏を聴きましたが、それらにより感化され、自身の演奏に反映されています。フランスの人々の日常に溶け込むように存在しているクラシック音楽の演奏を、演奏家と 聴衆両者の立場で聴く体験は、私自身の演奏を見直し、より深い演奏表現につながります。クラシック音楽が生まれ発展したヨーロッパの地で、コンサートにおける演奏家と聴衆との一体感を感じられることは日本では体験することが難しいため、私にとって非常に勉強になりました。
また、パリはフランス国内の都市や、ヨーロッパ各国へのアクセスが容易であるため、私はこの1年の間にフランスのモンペリエ、ニース、ロワール地方、ナントや、ベルギー、スイス、イギリス、ポーランド、オーストリア、チェコ、イタリア、スペイン各国の主要な都市を訪れ、その街に存在する、文化、芸術、言語や生活する人々の雰囲気に触れ、また、その地で生まれ活躍した音楽家の生家やお墓にも訪れました。国毎に絵画や建造物、音楽を含む芸術の表現方法が想像以上に異なり、それぞれに特徴があって、実際に訪れなければ感じ得ない空気感を味わうことができたことは、今後も様々な国の作曲家の楽曲を学び続ける私にとって何にも代えがたい貴重な体験となりました。
私は今年度もSchola Cantorumに在籍し、Billy Eidi 氏の下ピアノの研鑽を積んでいます。
Billy氏はフランス音楽を得意分野としており、私は、彼の指導によりフランス人のもつリズム感や、音楽や他の芸術への考えや姿勢、そして、具体的なフランス人の作曲家の楽曲の演奏テクニックや、表現方法を学ぶことができています。昨年度私はConcours Internationale de Musique YOUNG OPUS (Vanves) に参加し、Concertiste - Piano部門にて第2位を受賞しました。Debussyの生まれ活躍したパリで、彼の作品を演奏し受賞できたことは、大変こころ嬉しいことであったと同時に、改善点も発見できて私にとっては素晴らしい体験でした。今年度も国際コンクールに積極的に参加し成果を出していきたいと思います。
日本に帰国後はパリに滞在することにより体感し、学んだフランス独自の文化や芸術の知識や経験を生かし、更にDebussy を中心としてフランス音楽の研究を続ける予定です。そして微力ながら日仏の文化交流に貢献していきたいと考えています。
中野真帆子さん(フェリス女学院大学非常勤講師)体験談
滞在期間:2022年9月~2023年8月
昨年秋より1年間、パリの国際芸術都市に滞在させて頂きました。パリ国際芸術都市は留学時代にもお世話になった、思い出深い場所です。フェリス女学院大学の音楽学部で後進の指導に携わるようになってからも、フランスへは演奏やコンクール審査等で定期的に訪れていましたが、コロナ•ウイルスの出現によって渡航の自由も制限され、フランスでの活動も不規則になっていました。しかし今回、国際芸術都市に入居させて頂いた9月初めにはフランス国内の感染防止対策も緩和され、オリンピック開催に向かって活気づく、溌剌とした本来のパリの日常が戻っていました。
午前10時から夜の10時までパリの中心で練習できる環境、各図書館や資料館へのアクセスもほぼ15分以内という恵まれた立地は非常に理想的で、コンサートの準備や紀要の執筆、調査研究に心おきなく集中することができました。
他方、居住者同士の親睦を深める交換会も盛んで、館内の中庭ではダンス•パフォーマンス、自らのスタジオを解放して作品を披露するオープン•スタジオ、併設されたホールでは講演会やコンサートが頻繁に開かれていました。
沢山の出逢いと再会の中、国籍や民族、宗教の異なるスタッフやアーチストとの交流は音楽のみならず、メディアを通して漠然と理解はしていても実感できずにいた、現在の世界動向を肌で感じ続けた一年でした。滞在させて頂いたお部屋が第二次世界大戦で犠牲になったユダヤ人記念館の隣に位置していたことも、日々、戦争のひきおこす凄惨さに思いを馳せる一因になりました。
知人のサロンで年明けに演奏したSOS Chrétiens d'Orientへのチャリティー•コンサート、休憩無しで80分サル•コルトーでのリサイタル、アルデッシュ県知事公邸でのプライベート•コンサート、ブルターニュ地方、Séréac城でのサロン•コンサート、ピエール・カルダン•フェスティバルで共演したVéronique Fourcaud女史の招聘で実現したロット県でのプレ•コンサート等、忘れ難い思い出のページがまた増えました。
滞在中、階下の水漏れによって急遽、部屋の移動を余儀なくされたり、年金受給年齢引き上げに反対するデモやゴミ収集人によるストライキ、人種差別への反対運動に乗じた暴動が多発したりと、ウイルス感染対策の収束で、しばらく忘れていたパリならではの光景が甦り、さまざまな思いが交錯しましたが、このようなかえがえのない機会を与えて下さった音楽学部の先生方へ感謝しつつ、この滞在で得たことを、可能な限り今後の活動や大学でのレッスンに反映していく所存です。


