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2025年度入学式 学長式辞
みなさん、入学おめでとうございます。フェリス女学院大学にようこそいらっしゃいました。保護者の皆様、お嬢様の成長を、心よりお祝い申し上げます。ここに集う教職員はこれからの4年間、みなさんの未来への土台を作るお手伝いをします。そのために、さまざまな機会がみなさんの為に用意されています。授業の他に、国内外への留学、職業体験、他大学との交流、講演、また舞台に立つ機会などなど。どうか、一つでも良いのでそうした機会を利用して、自信をつけ、社会に出ていく準備をしてください。
今日、キリスト教の聖書が読まれるのを初めて聞いた人はどのくらいいらっしゃいますか。キリスト教主義の学校からいらして、もうたくさん聞いてきた人もいらっしゃるでしょう。今日読まれた話は、マルコによる福音書だけではなく、ヨハネ、マタイ、ルカにも出てきます。それぞれに少しずつ異なるのですが、今日は、主にマルコとヨハネによる福音書に依拠して話をいたします。
話の主人公の女性はマリアという名ですが、イエスのお母さんのマリアではありません。ベタニアという、エルサレムの南東約3キロのところにある村(現在のアル・エイザリアとする説があります)に、姉のマルタとラザロという兄か弟(どちらかわかりません)と一緒に住んでいました。彼女の家は、イエスの支持者で、割とお金持ちだったらしく、イエスの一行を家に招き入れて、度々もてなしていたようです。
ベタニアのマリアは、変わった女でした。家で食事を出したりしてもてなすのは女性の役目でしたが、イエスが家の中で話し始めると、その役目を放り出して、男性たちにまじってイエスの話に聞き入るような女性でした。きょうだいのラザロは一度死んだのですが、イエスが蘇らせたことで知られています。そして、ヨハネによる福音書によれば、ベタニアのマリアは、イエスが捕えられる一週間くらい前に、家を訪ねていたイエスの足に高価な香油を塗って、自分の髪で拭ったのです。この香油の値段は、約300デナリで、それは当時の労働者の1年分の稼ぎに相当したということです。
家の中は香油の香りで満たされました。ヨハネによる福音書によれば、この香油はナルドの香油です。癖の強い香りが長く残るもので、人間の死体の腐臭を消すためにも使われました。だから、マタイによる福音書では、マリアのこの行為は、イエスの死の準備をしたものとしてイエスが評価したとしています。
しかし、端的に言って、この情景は、マリアのイエスへの強い愛情を感じさせます。それを「帰依」とか「献身」とする解釈もあり、そうすると、信仰の世界に回収されますが、自分の髪でイエスの足を拭うというのは、非常に性的なものを感じさせます。おそらく、それもあって、香油を注いだのは、ベタニア村のマリアではなく、マグダラのマリアだとされたりしました。実際、ルカによる福音書の記述には、「罪深い女」がイエスの足を涙で濡らし、自分の髪で拭い、香油を塗ったという場面が記録されていますので、マグダラのマリアは、娼婦だったという伝説とこのシーンが結びつけられてきたのです。そして、中世の絵では、マグダラのマリアは必ず香油の壺を持っています。これは、彼女がイエスの死後、香油壺を持って墓を訪れたという話に依拠していますが、同時に、ベタニアのマリアの行為をマグダラのマリアのものと考えるところにも依拠しているのです。中世の画像では、マグダラのマリアは、壷を持つと同時に、本を読む好奇心が強く知性豊かな女性として描かれています。だから、私は、このマグダラのマリアの絵を集めています。私にとっての唯一のコレクションです。
余談はさておき、ベタニアのマリアが香油をこのように使ったことに対して、イエスの弟子の一人が、なぜそのような無駄をしたのか。使った香油を売れば、多くの貧しい人々を助けられるのに、と批判しました。マリアは変わった女なので、周囲から叱られがちなのです。ヨハネによる福音書では、この批判を行ったのは、イスカリオテのユダということになっています。祭司長たちに銀貨30枚でイエスを渡し、その後自殺したあのユダです。
この批判に対し、またしてもイエスはマリアを擁護します。自分はいつもこの世に居られるわけではない。「彼女はできる限りのことをしたのだ」と。そう、彼女は自分のイエスへの愛情を派手に表現し、周囲の人を驚かせました。しかし、イエスは、"She has done what she could."「彼女はできる限りのことをした」と、その行為を正当なものとしたのです。
さて、この「彼女はできる限りのことをした」という言葉は、今日読んでいただいたマルコによる福音書に書かれています。それで、本日は、マリアの物語の筋の多くをヨハネから取ったのに、マルコの方を読んでいただいたのです。
このイエスの言葉は、アメリカで、19世紀後半に盛んになった女性宣教師を海外に送る女性たちの運動で、しばしば使われました。フェリス女学院の「創立者」であるメアリ・E・キダは、この運動に火がつく直前に男性たちが主導する伝道局から送られたのですが、その後フェリスで働いた女性宣教師のほとんどは、婦人伝道局と言われる、女性たちの海外伝道のための運動を背景とする機関から給与を得て働き、また、学校運営に必要な資金の多くをそこに出してもらいました。
この女性たちの運動に対しては、多くの批判がありました。そもそも当時女性たちは神学校で学び、牧師になることは一般的に禁じられていました。大抵は、日曜学校で子供たちに聖書を教える程度の訓練しか持ち合わせていませんでした。そんな「素人」を、大金を使って海外に送るなど、無駄遣いだという批判です。女性たちは、感情的な高まりの中でクリスチャンになり、神学的な知識と理解を土台にしていないので、すぐ気が変わって、へこたれてしまう、という批判もありました。独身女性は、機会があればすぐ結婚してしまい、彼女とその仕事に投じたお金が無駄になるという批判もありました。婦人伝道局は、女の浅知恵で、せっかく集めたお金を女性の宣教師を海外に送るのに使うより、男性主導の伝道局に使い道の決定を任せるべきだという非常に強い意見もありました。
でも、女性たちは、海外の異教徒の女性にキリスト教を伝えたい、そのために女性たちに教育を与えたい、という情熱に突き動かされて、小さな献金を大勢からかき集め、「女性のための女性の仕事」を成すべく、運動を大きくしていきました。その際、しばしば、「彼女はできる限りのことをした」というイエスの言葉が、彼女たちの情熱を肯定するものとして引用されました。
その運動の果実が、今、私たちが集っているこの空間、この学校です。
私がフェリスの中学校・高等学校の生徒だった時、学校の創立者メアリ・E・キダは偉大な人で、アメリカでも有名なのだろうと想像していました。しかし、大学院生になって調べ始めると、キダのことを知っているアメリカ人など、ほとんどいないばかりでなく、彼女にまつわる記録はほんの少ししか残っていないことを知りました。そう、彼女は全く無名の女性です。19世紀のアメリカ社会なら、どこにでもいそうな、ちょっと冒険心には富んではいたけれど、ごく普通の中流の白人女性だったのです。
そういう「小さな女性」が始めた小さな事業が、多くの人々の支援を受けて成長し、155年後にもこうして続いていて、日本の女子教育の一端を担っています。こういうことをキリスト教の言葉で「神に祝福されて、続いた」というのですが、もっとわかりやすく言えば、「不思議なことに、続いてきた」のです。マリアは「できるだけのことをし」て、イエスは、「世界中どこでも、福音が述べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」と言いました。マリアの香油の使い方は、常識では無駄に思えることでした。しかし、情熱を込めて「できるだけのことをした」彼女の行為は決して無駄にはならず、19世紀のアメリカの女性たちを勇気づけました。そして、今のフェリスがあります。
今日、フェリス女学院大学に入学するみなさんも、私たちと共に、「できるだけのこと」を情熱を込めて行う女性であって欲しいと思っています。みなさんが、フェリスの伝統に連なり、未来を創っていく女性として成長なさることを、心を込めて応援いたします。みなさんが、フェリス女学院大学を選んで、良かったと思える4年間にいたします。
入学、本当におめでとうございます。
入学式の様子をInstagramでも紹介しています。
https://www.instagram.com/reel/DH5-KEzTGkg/?igsh=MXdkYW40MGRyZmpzcg==