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フェリス百人一首

フェリス女学院創立150周年を記念して、文学部日本語日本文学科は、現代版『百人一首』を制作しました。過去から現在に受け継ぎ、未来へと残していきたい、新たな百人一首です。

書籍情報

『フェリス百人一首』(非売品)

フェリス百人一首

本学の関係者、受験生・高等学校等を対象とした特別パッケージです。

『和歌・短歌のすすめ 新撰百人一首』

和歌・短歌のすすめ

一般販売用パッケージ(本体1,600円+税 変型判・並製・242頁ISBN:978-4-909832-34-4)。
書店・Amazon等各種オンラインで発売中です。
和歌・短歌のすすめ新撰百人一首 谷知子・島村輝 編 | 花鳥社 (kachosha.com)

書籍紹介

百首すべてに解説を施し、さらに和歌・短歌を理解するうえで重要な事項をコラムとしています。高校などの教育現場でも活用していただけるように、網羅的な内容となっています。和歌の約束ごとや基本を身につけることは、それほど困難なことではありません。なぜ修辞が用いられるのか、その理由を理解すれば、するすると全貌が見えてくるはずです。また、表紙のほか各所に本学学生作のイラストを配置しています。和歌・短歌の世界をビジュアルで表現したらどうなるのか、これも新たな挑戦です。

和歌は、近代になって短歌と呼び名を変えます。五七五七七の三十一文字であることに変わりはないのですが、和歌の革新運動によって新しい風が吹きこまれます。本書は、近現代短歌も取り入れ、宝塚歌劇を詠んだ歌やセーラー服を着た歌人の歌など、現代を鮮やかに写し出しています。近代短歌の豊かさ、魅力も存分に味わってほしいと願っています。

メディア掲載

図書新聞 第3497号 (2021年05月29日付)
東京新聞 「古事記」から現代 今昔の思い、百人一首に フェリス大生ら本出版(2021年3月30日)

『フェリス百人一首』エッセイ・イラストコンテスト

フェリス女学院大学文学部日本語日本文学科は、『フェリス百人一首』(市販版『和歌・短歌のすすめ 新撰百人一首』花鳥社)の刊行を記念して、「『フェリス百人一首』エッセイ・イラストコンテスト」を開催いたします。

応募資格は、本学文学部日本語日本文学科学生(ならびに大学院学生)です。本書の和歌・短歌や歌人に関するエッセイ、本書に撰ばれた歌人や和歌をモチーフにしたイラストを募集し、コンテストを実施します。

コンテストの紹介記事はこちら

入選作品の紹介記事はこちら

入選作品と選評

1 エッセイ部門
人文科学研究科日本語日本文学専攻博士前期課程1年 福島和奏
「桐壺更衣は幸せだったのか?」

福島和奏さんは、『源氏物語』から桐壺更衣の和歌「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」(『源氏物語』桐壺巻)を選びました。『源氏物語』中、最初に登場する和歌がこの一首です。和歌には、心情のクライマックスが託されます。そうした和歌の特質をよく理解したうえで、更衣の心情に迫ったエッセイです。

2 イラスト部門
文学部日本語日本文学科2年 佐藤思穂
「柿本人麻呂と山鳥」

『フェリス百人一首』の柿本人麻呂の和歌は「もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行くへ知らずも」でした。佐藤思穂さんは、『小倉百人一首』の和歌「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」を題材にしたイラストを制作しました。月、紅葉、山鳥を組み合わせた、完成度の高い作品です。

入選作品紹介

1 エッセイ部門
「桐壺更衣は幸せだったのか?」
人文科学研究科日本語日本文学専攻博士前期課程1年 福島和奏

かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
(『源氏物語』桐壺巻・桐壺更衣)

(訳)今は、それが定めとお別れしなければならない死出の道が悲しく思われますにつけて、私が行きたいのは生きる道のほうでございます。

『源氏物語』五四帖には、八〇〇首近くの和歌が含まれています。その中で最初に登場する和歌が、この「かぎりとて」の一首です。作者は、主人公・光源氏の母である桐壺更衣です。

桐壺更衣は、大納言家の娘でした。大納言は大臣に次ぐ位なので、その娘は帝の后たちの中でも女御という高い位になるはずでした。しかし、父の大納言は更衣が帝の后として入内する前に亡くなってしまいました。大黒柱の男性が亡くなってしまった家は没落することが多く、大納言家も例外ではありませんでした。娘は女御よりも下の位の更衣として桐壺という殿舎に住むことになり、桐壺更衣と呼ばれるようになります。しかし、桐壺更衣は帝から大きな寵愛を受けるようになりました。女御たちは自分たちよりも身分の低い桐壺更衣が帝の寵愛を受けることになることに怒り、桐壺更衣を様々な手を使って追い詰めます。桐壺更衣は心も身体も弱っていきますが、帝の寵愛は変わることなく、二人の間には玉のような男の子が誕生します。この男の子が後の光源氏です。

帝の寵愛を受け、子どもが生まれ、幸せな生活を送るように思われましたが、他の后たちの嫉妬が止まることはなく、いじめとも言うべき仕打ちがエスカレートしていきました。光源氏が三歳になった頃、桐壺更衣はとうとう身体を壊し、危篤状態になってしまいます。宮中は、穢れを忌む場所であるため、桐壺更衣は実家に帰らなければなりません。帝は桐壺更衣との別れを悲しみ、なかなか実家に帰すことを許しませんが、それも限界があり、実家に帰ることになります。帝は、皇族にしか許されない手車(人が運ぶ車。当時の貴族は移動に牛が車を引く牛車を使っていました)を手配し、桐壺更衣を実家まで送らせます。この場面で、帝との別れを悲しんだ桐壺更衣が詠んだ歌が、この歌です。

第四句の「いか」は、「行く」と「生く」の掛詞になっています。死期を悟り、もうこれが最後の対面であろうと覚悟すればするほど、悲しく、まだ生きたいという気持ちが勝る、という内容を、死出の道、生きる道の二つの道のうち、私が行きたいのは生きる道の方だと訴えています。

しかし、桐壺更衣はこの後、生きる道に向かうことはできず、亡くなってしまいます。短い生涯の中で、愛する帝からこの上ないほどの寵愛を受け、可愛らしい男の子まで授かりました。その一方で寵愛を受けたために望まない死の道に向かうことになってしまったのでした。物語中で、桐壺更衣が発言をする場面はほとんどありません。物語の読者は、桐壺更衣が幸せなのか、不幸せなのか、彼女の死に際までわかりません。しかし、桐壺更衣のこの歌は、帝の寵愛を受けて本当に幸せだったことがわかる歌でした。そんな幸せを感じられる相手と、私もめぐりあいたいものです。

2 イラスト部門
「柿本人麻呂と山鳥」
文学部日本語日本文学科2年 佐藤思穂

柿本人麻呂と山鳥