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「権利をもつ権利」

国際交流学部 国際交流学科
矢野 久美子教授

古代ローマ法では、法的人格として権利能力のある人を「ペルソナ」persona、権利をもたない奴隷を「ホモ」homoと呼びました。「ホモ」は、動物とは異なるが法律的な権利や資格のない人類としてのヒトを意味していました。

法律的な権利や資格をもたないヒトとはどういう存在でしょうか。そんな人間はいるだろうか、とまずは不思議に思うかもしれません。しかし、歴史のなかで政治はいつも権利をもつ人ともたないヒトの境界線を引いてきました。その境界線を民主的なものにしていこうという試みが近代の市民革命でもありました。その成果の一つが人権宣言であり、アメリカでは生命、自由、幸福の権利の追求が、フランスでは法の前での平等、自由、所有の権利および国民主権が、譲渡できない奪うべからざる人間の権利として宣言されたのです。

ところが、20世紀において大量に生み出された難民や無国籍者の権利状態は、こうした人権の定義では把握できないものでした。多くのさまざまな権利は、国家という境界線、その境界の内側で国民や市民であることを前提としているからです。境界の外側へと追いやられいかなる共同体にも属さないという事実から生まれた「人権の喪失」、あるいは無権利状態について、ハンナ・アーレントは以下のように述べています。

人権の喪失が起こるのは通常人権として数えられる権利のどれかを失ったときではなく、人間世界における足場を失ったときのみである。この足場によってのみ人間はそもそも諸権利をもちうるのであり、この足場こそ人間の意見が重みをもち、その行為が意味をもつための条件をなしている。自分が生まれおちた共同体への帰属がもはや自明ではなく絶縁がもはや選択の問題ではなくなったとき、あるいは、犯罪者になる覚悟をしないかぎり自分の行為もしくは怠慢とはまったく関わりなく絶えず危難に襲われるという状況におかれたとき、そのような人々にとっては市民権において保証される自由とか法の前での平等とかよりもはるかに根本的なものが危うくされているのである。
(『全体主義の起原 2 帝国主義』280頁)

 

ドイツのユダヤ人として生まれたアーレントは、1933年のナチ政権獲得直後にパリへと亡命し、フランスが親ナチ政権になった後さらにアメリカ合衆国に逃れました。この文章を書いた当時、彼女はまだ無国籍状態でした。難民は、自分の生まれ育った環境、故郷を喪失します。しかも、多くの場合新しい故郷を見いだせず、つまり受け入れ国を見つけることができません。それは住む地表がないといった空間の問題ではなく、政治組織の問題であると言えます。また、難民であることは政府の保護を喪失するということでもあります。「難民収容所」での権利状況とはどのような言葉で表現することができるでしょうか。彼らの意見は重みをもち、彼らの行為は意味をもつと見なされているでしょうか。

難民や無国籍であることがさらなる危害に結びつくことを、歴史は証言しています。ドイツで1933年に政権についたナチが行ったことの一つは、ユダヤ人からドイツ国籍を剥奪し、法の外部に置くことでした。最初に彼らの「ペルソナ」、つまり法的人格が破壊されたということができるでしょう。自分が何を行ったかに関係なく「強制収容所」に入れられ、ガス室で殺された多くの人々は無国籍だったのです。つまり、すでに「法的人格」ではなかったのです。しかも、無国籍の難民であるということは、他国への移動や脱出を困難なものとしました。世界はもはやパスポートなしで自由に移動可能ではなかったし、無国籍者を進んで受け入れる国もほとんどありませんでした。

1948年に国連で採択された「世界人権宣言」は、個人の基本的人権を国家という枠組みのなかではなく国際社会で尊重することを宣言しました。第6条には「何人も、あらゆる場所において、法の下に人としてみとめられる権利を有する」と書かれ、第15条では「国籍をもつ権利」についても明記されています。庇護を受ける権利や越境移動の自由への権利も明記されています。しかし、出国の権利は認められていても入国の権利が認められているわけではありません。

アーレントに影響をうけたアメリカの政治学者セイラ・ベンハビブは、グローバルな正義論が移民や難民の問題、国家による出入国管理の問題について沈黙していることを批判し、「すべての人間が『権利をもつ権利』、つまり、それぞれの政治的成員資格の地位にかかわりなく、すべての人間が何らかの不可譲の権利を付与された法的人格とみなされる、そうした権利の擁護」にとりくんでいます。

「権利をもつ権利」という言葉を最初に使い、それを「人間がその行為と意見に基づいて人から判断されるという関係の成り立つシステムのなかで生きる権利」であると定義したのはアーレントでした。今から60年前のことですが、今も「行為と意見に基づいて判断される関係」から排除される人々は増え続けています。

 


■参考文献■
ハンナ・アーレント『全体主義の起原 2 帝国主義』(みすず書房)
セイラ・ベンハビブ『他者の権利―外国人・居留民・市民』(法政大学出版局)